2011年08月16日

民主主義の欠陥3~なぜこれまで本当の市民運動が実現されなかったのか。

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シリーズ「民主主義の欠陥」では、これまで戦前、戦後の市民運動について紹介してきました。簡単におさらいしますと、
これまでのフランス革命・明治維新は、大衆のためではなく、その背後にいる金貸しの為の運動であった。
戦後の全共闘では、何も実現されず、活動参加者は今では体制を補完する側に回っている。
というのが、これまでの市民運動でした。
改めて市民運動を見たときに、市民にとって何が本当に実現されたのでしょうか?何も実現されていないのではないでしょうか?
今回は、これまでなぜ本当の市民運動が実現されなかったのか?について、るいネットの投稿「市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる破滅的な騙し。」を参考に追求していきたいと思います。
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市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる破滅的な騙し。」一部引用

過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。
つまり、近代の市民運動は、実現された例がない。従って、「市民運動」という言葉は、幻想と断じざるを得ない。
しかも、この幻想を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、破滅的な騙しである。
その後、市民運動は、’70年、貧困の消滅(豊かさの実現)を契機に急速に衰弱していった。つまり、市民運動は、貧困の圧力→私権圧力が強いときにはそれなりに盛り上がり、私権圧力が衰弱するや否や衰退していったわけで、これは、市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていたという証である。
私権欠乏に立脚している限り、どれだけ市民運動を続けても、私権社会が永久に続くだけであって、私権社会から共認社会への転換など、実現するわけがない。

’70年以前、人々は「お金や身分、地位が欲しい」という私権欠乏を最大の活力源としていました。
そうした中で、私権が欲しいのに得られない不全を、体制にむけて放出したのがこれまでの市民運動だったのです。
そもそも、私権社会に対して社会変革を謳っておきながら、自らが私権原理に立脚している時点で大きな矛盾があり、実現可能性はなかったのです。
市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる破滅的な騙し。」一部引用

同じことは、それらの運動を導いてきた思想についても言える。
近代思想を生み出したのは、金貸し(金融勢力)である。ところが、市民運動の活動家たちも、同じ近代思想に立脚している。
同じ思想に立脚しながら、社会を変革することなど出来るわけがない。
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金貸したちによって支配された現在の社会。金貸しが官僚を支配する事によって実質的に法制支配し、マスコミを支配する事によって実質的に世論支配しているのが現在の社会です。
そんな金貸しの生み出した思想が近代思想。その中身は個人の権利を主張したもの。なぜ個人の権利を皆が主張したかというと、その方が、消費活動をする対象が増え、市場の拡大にとって有利だからです。
一方、市民運動はというと、すべて権利の要求。よって近代思想に立脚した運動です。
ですから当然、近代思想で統合されている社会を、近代思想で変革しようとしても変わるはずがないのです。
市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる破滅的な騙し。」一部引用

あるいは、こうも言える。市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の上昇に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。
しかし大衆は、金貸しが支配する検定教科書とマスコミによって、ほぼ完全に染脳されてしまっており、新たな思想なしに大衆の意識が変革されることなどありえない。
本当に社会変革を実現するには、歴史を遡って、運動の実現基盤を発掘し、実現基盤を備えた新理論を構築しなければならない。彼らは大衆の意識に期待してきたと上に書いたが、実は、彼らが大衆の意識潮流を深く追求した痕跡はどこにも無い。これでは、本当の所は、大衆にさえ何も期待していなかったのだと言わざるを得ない。
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大衆の意識に期待しても、大衆はマスコミや検定教科書によって染脳されている。そんな大衆の意識の変化に期待したところで、なんら代わるはずがありません。何も実現基盤を探ることなくただただ、訴え続ければ大衆の意識が変わるだろうというのは幻想です。
近代思想に代わる新たな理論が必要ですが、新たな理論という超難課題に挑んだ運動家はいなかったのです。
本当の市民運動が実現されなかったのは、この近代思想に代わる新たな理論の構築がなされなかったことが主要因なのでしょう。
まとめ
なぜこれまで本当の市民運動が実現されなかったか?
これまでの市民運動は私権欠乏をエネルギー源にしていたから。
近代思想に立脚していたから。
大衆の意識意外に何も実現基盤を持っていなかったから。

List    投稿者 kagano | 2011-08-16 | Posted in 未分類 | 2 Comments » 

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コメント2件

 通りがけ | 2012.07.19 23:38

吉田松陰の一番弟子高杉晋作も水戸藩に深く共感し剣術修行と称して水戸学の大家のもとを尋ね歩いて大いに談論風発肝胆相照らしています。次週の庶民をも貫く「世直し期待」が楽しみです。

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