2011年07月10日

原発問題から見える特権階級・近代科学の問題性10~狂気の近代科学技術~

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3.11の東日本大震災に端を発した、人災「福島第一原発事故」は発生から4ヶ月が経ったものの、未だに収束の様相をみせません
一方で、時間の経過とともに、様々な問題が浮き彫りになってきたように思います。

例えば、原発の安全管理の拙さ
あるいは、政府が設定してきた安全基準値の不正確さ
そしてなにより、このような事故が起った時の対策が何一つ確立されていなかったこと

原子力発電は一度事故が起きれば、甚大な被害が発生することは予見されていたにも関わらず、まともな安全対策が欠落したまま、根拠なき安全神話によって推進されてきたのです。

なぜ、このような未熟な技術であるにも関わらず原発は推進されてきたのか?
それには、エネルギー利権構造が1つあげられます。しかし、それ以外に狂気とも呼べる近代の科学技術への妄信があったことが、今回のような未曾有の事故へと繋がったのではないでしょうか?

そのことを、わかりやすく提示してくれている記事を紹介します。

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雑草の言葉
2011-01-11 狂気の科学技術 より転載。

 【狂気の沙汰】では現代社会の狂気の沙汰を色々挙げさせて頂きました。特に社会構造の中心に経済が居座り、経済に支配された特殊構造に焦点を当て、いかに経済成長主義が凶器であるかを論じました。
 今回は一般に利用されている科学技術の中で最悪の狂気の沙汰について書かせて戴きます。それは勿論原発です。
原発については、メリット・デメリット色々あるなんて言われていますが、メリットなんてあるのでしょうか?・・・もしあるとしても、その途方もない負の面と比べれば、無いに等しいでしょう。正に現代の狂気の沙汰だと言えるでしょう。・・・理性のあるまともな人々ならば原発は封印するべきであると考えるでしょう。原発の酷さについてはこれまでも何度も言及していますが、色々追加しながらもう一度整理してみます。
 原発の安全性についてはよく『安全神話』という言葉が使われます。今どき絶対安全なんて電力会社の言う事を信じる人がいるのでしょうか?安全神話・・と言われている時点でお仕舞いでしょう。本当に安全なものに安全神話など必要ありません。
 原発で使用するウラン燃料は、1日運転しただけでも広島に落とされた原爆のウランより多いのです。1年以上運転した原発は、原発一基につき、広島原発の1000倍以上の死の灰が詰まっているのです。
(中略)
 原発事故の原因としては、よく危惧されている地震の他に、火山の爆発、航空機や隕石などの落下、なども考えられます。日本の原子炉建屋は、壁は非常に強く出来ていますが、屋根はかなり弱く、爆発物で無くとも、上空から重いものを落とされただけで、簡単に突き抜けてしまうくらいの強度だそうです。燃料棒の交換などのために格納容器の天井を取り外し、燃料棒の上にある全ての機器が取り外されたときに、砲丸投げの砲丸程度[7kg]のものでも、上空の高い位置から落とされて燃料棒や周辺の配管が直撃されれば、炉心溶融を起こす可能性も十分にあるとの事です。・・・狂気の沙汰と言えましょう。
 勿論、戦争にでもなれば、真っ先に原発が狙われるでしょう。日本を狙うミサイルに核弾頭を装備する必要もありません。原子炉にはミサイルに搭載出来る量よりも遥かに大量のウランやプルトニウムが詰まっているのです。通常核爆弾の何倍(何十倍、何百倍)もの威力でしょう。日本の隣国が核弾頭を持っているとかいないとか騒がれていますが、核弾頭を持たなくとも、日本に核爆弾以上の損害をもたらす事が十分に可能なのです。・・・狂気の沙汰と言えましょう。
 原発はたとえ事故を起こさなかったとしても、そこには毎日大量の放射能を被爆しながら労働している人達がいるのです。いわゆる被爆労働者です。
【安全神話の闇に葬られる原発被曝労働者】
(中略)
これまで日本だけでも百万人以上の下請け労働者達が被爆労働に従事し、何十万人が放射能被爆に苦しんで、そのうち何割かの人達が亡くなっています。(・・このあたりの数字は、隠蔽されていて正確には出されていません。)この事実をマスコミはほとんど報道せず、闇から闇に葬り去られてきました。全く酷い話だと思います。こんな非人道的な労働が行われているだけでも、原発は狂気の沙汰と言えましょう。その部分を抜きに労働基本法だとか人権問題を論じるマスコミは偽善と言うしかありません。
 原発は、発電が終わってからも狂気の沙汰はずっと続きます。それは放射性廃棄物です。放射能の強さは時間のみの関数ですから、時間を短縮して放射能を無くすことは不可能です。無理に無くそうと物理的な処理を施そうとすると、それよりもっと多量の放射能を産み出すだけです。半減期が長い放射性元素の放射能が許容量になるまでには数万年管理しなければなりません。・・・たかが数十年の発電の代償として、数万年の管理が必要な発電を実行するなんて、まさしく狂気の沙汰です。
 以上のように原発には様々な理不尽な狂気の沙汰と呼べるような事柄が内在しています。過去のどの狂気の沙汰と比べても、まともとは言えないでしょう。それなのに原発を作って運転していることは、まさしく狂気の科学技術です。

改めて、原発は我々の手に負えるものではないことを実感します。
にも関わらず、我々はこのような技術をこれまで何の疑問もなく日々当たり前に利用し、推進してきました。まさしく「狂気」です。

我々は近代科学というものの捉え方を今一度見直す必要があるのではないでしょうか?

次に、その点を整理してくれている記事を紹介します。

『原発:近代科学原理主義者たちの産物』

「想定外」。このたびの原発事故で関係者(科学技術者)が発した言葉だ。
この言葉を聞いた我々一般大衆は「そんなことも想定していなかったのか」と呆れ、ことの重大さ対する関係者の傍観的姿勢に怒りを禁じえない。
しかし、冷静になって考えてみれば、この「想定外」という発言は、学者自らが近代科学の重大な欠点に気づいていないことを示している。
近代科学は、ある一定の条件下でだけ成立する法則の集合体だ。あたかも全ての条件下で適用可能な一般法則のように思われているが、実は違う。万能性はない。しかも、この欠陥を逆に捉えると、恣意的に条件を変えれば、自らの都合が良いように特定の結果を導く事が出来る。ここに近代科学が万能であるという妄信が加われば、恣意的に操作した結果得た答えでさえ、万能性のもとに得た最良な結果である、という妄信が生ずる。
今回の原発事故は、そのようにして生じた。
どこまでの事態を勘案するか、恣意的に条件設定したにも関わらず、あたかもそれが万能であるかのような「安全」という答えを導いた。そして、恣意的な条件操作をした際に抜け落ちた、もしくは、作為的にに勘案しなかった部分が「想定外」だったのである。
恣意的な操作をしているにも関わらず、それを万能と思い込むことは、もはや原理主義といっていい。「想定外」という発言がでる時点で、自らが恣意的な操作をした事を認めていない。当然、自らが信仰する近代科学の重大な欠陥には気づいていない。恣意的な操作をしたことを「意図してやったわけではない」という発言は、自己正当化を通り越して完全に思い込みの世界である。
そのような原理主義者が立派な学者として崇められているらしい。恐ろしい事だとしかいえない。
我々は、原発を生み出したのは、近代科学原理主義者たちであると知ると同時に、そのような危険人物が特権階級に居座っていることを知らなくてはならない。

最先端の科学技術によってつくり出されたと聞くと、あらゆる状況を想定した極めて高度な検証が行われているかのような錯覚に陥りがちです。しかし、その実態は限定的な条件、もっと言えば恣意的な条件設定と検証による、不完全なもの(=近代科学の構造的欠陥)であることが多いのです。
さらには、恣意的条件設定をしていることを捨象すれば、不完全なものを完全なものと妄信してしまいます

現在、原発の再稼動の問題や脱原発、さらには新エネルギーへ向けた動きも高まっていますが、いずれにせよ、この「近代科学の構造的欠陥」の認識なしには、あらゆる新エネルギーへのシフトでも同じ歴史が繰り返されることとなるのです。
今回の事故から学ばなければいけないことは、「現実=事実を受け止めて、人間が作り出す技術は不完全である」ということ。即ち「完全なる理論=認識は存在しない」という認識を持つことが必要なのです。

過去の失敗=「歴史」を真摯に受け止め、「自然の摂理」に謙虚に学ぶことがなにより重要だということに改めて気づかされます。

今後も多くの方と事実を探求し、学んでいきたいと想います

List    投稿者 tyani | 2011-07-10 | Posted in 10.日本の時事問題No Comments » 

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