2010年11月22日

シリーズ『超国家・超市場論』 第4回 『圧力が統合機構の中身を規定する』~置かれた環境を貫く 闘争圧力を把握せよ~

本シリーズでは、国家や市場に代わる新たな社会統合機構について追求した、『超国家・超市場論』を紹介している。
シリーズ第一回「新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?」では、社会統合機構(国家や市場)においては、身分やお金などの評価指標が統合or活性化のため不可欠なシステムであることを紹介した。
また、シリーズ第2回「生命進化のダイナミズム」では、生物の統合原理=「あらゆる生命体や集団は、外圧(外部世界)に対する適応態として存在している」ことを明らかにした。
そして、シリーズ第3回『国家と市場は、外圧に対する適応原理が全く異質な存在である』では、国家は『闘争(能力)適応』、市場は『共生(取引)適応』の原理にそれぞれ基づいており、両者は全く適応原理が異質な存在であること。市場は闘争圧力からの“抜け道”であり、社会を全的に統合する機能を持たないことを明らかにした。
今回のエントリーでは、「最先端の統合様式がどのように形づくられていくのか?」について国家(日本)を題材にして明らかにしていきたい。
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【以下引用】

社会統合の問題を考えると、すぐに統合様式=(統合を担う)最先端機能に目が行ってしまうが、既にそこに大きな落とし穴がある。実は、最も重要なのは、その統合様式の大前提をなす、置かれた環境を貫く闘争圧力の把握である。
なぜなら、そもそも環境≒闘争圧力に適応すべく先端機能が生み出され、最先端機能であるが故にそれが統合機能とも成った訳だから、重要なのは前提となった闘争圧力の中身であり、闘争圧力を捨象して統合機能(例えば評価指標)だけを見ても、その真の姿は見えてこない。
とりわけ重要なのは、次の点である。
置かれた環境を貫く闘争圧力が、(個体を構成する各機能であれ、あるいは集団を構成する各個体であれ)最末端まで貫通した圧力として働いているからこそ、その圧力に適応する最先端機能へと(各機能や各個体が)収束し、全体が統合されるのであって、この圧力がなければ、最先端機能も統合機能として働かない。また、最末端まで貫通した圧力の存在を捨象して、統合機能の真の姿が見える訳もない。
従って、まずは、人類を貫く闘争圧力の中身から、押さえ直してゆこう。

【引用おわり】
現在社会の統合様式(統合機関)は国家であるが、ここでは日本を例に、その成立の背景を明らかにしたい。
縄文時代は原始共同体集団が各地に点在し、集団間の接触も少なく、国家は存在していない。各集団は自立した存在である。そして、その時代には戦争の痕跡も見られず。身分格差も登場していない。
ところが、紀元前4世紀ごろ(弥生時代初期)に入ると、水田耕作、金属器(鉄器・青銅器)が現れ、それまでの縄文社会には見られない文化が登場する。因みに稲は中国の江南地方(中国南部)由来のものである。つまり、これは江南地方の人々が(おそらく現在の朝鮮南部を経由して)日本列島に渡来してきたことを示している。
その後、中国を統一した前漢が紀元前1世紀頃、楽浪郡(現在の平壌辺り)を支配する。「漢書地理誌(中国前漢の歴史を記した書)」によれば、当時の日本(北九州地方)は100余国に分かれ、その国のうちのいくつかは、定期的に楽浪郡を訪れていたという。そしてほぼその頃(紀元前1世紀頃)には大規模な環濠集落が日本に登場している(佐賀県吉野ヶ里遺跡、愛知県朝日遺跡等)。
環濠集落とは大規模な溝や柵や杭で囲まれた集落である。例えば「吉野ヶ里遺跡」は、弥生時代後期(紀元2世紀頃?)に入ると面積が40万㎡に達し、濠も2重となり、集落内には大きな物見櫓も見られる。そして遺跡からは首なし人骨も発掘されている。つまりこの段階で、戦乱(おそらく水争いの縄張り闘争)が既に始まっていたと推測される。
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(写真はリンク。からお借りしました。)
また紀元57年頃にはそれらの国のひとつである「奴国」が「漢」に使者を送り国王より金印を受けている。おそらく奴国は漢の後ろ盾を得ようとしていたと思われる。
その後、紀元150年頃、「魏志倭人伝」によれば、倭国は内乱状態(約50年に及ぶ)入る。その頃「邪馬台国」が登場し、この戦乱を収め「邪馬台国」を中心に30カ国ほどの小国の連合が生まれたとされている。当時、邪馬台国だけでなく、他にも、「狗奴国(スサノオ系?)」、「伊都国(後の物部・葛城氏系?)」「不弥国(後の出雲大社系?)」などを中心とした小国連合が存在している。
そして、邪馬台国の卑弥呼が没する頃(250年)、急速に大和王権による統一が進んでいく。そして近畿圏(大和地方)に多数の前方後円墳が忽然と現れる。副葬品の馬具をつけた馬の埴輪が登場することに見られるように、彼らは馬を乗りこなす勢力に由来する。そして4世紀中ごろ(300年代)には、大和王権がほぼ政権を確立するにいたる。日本における国家の成立である。
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(写真はリンク。からお借りしました。)
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(写真はリンク。からお借りしました。)
当時大陸(中国等東アジア)では「後漢」が衰弱過程に入り、220年に滅亡、いわゆる三国時代に突入する。そして280年には晋が一旦中国を統一するが、まもなく北方の騎馬民族に征服され、南北朝に分裂するなど、中国は長い分裂抗争と戦乱の時代が続く。この内戦は、周辺地域にも玉突き的な内戦を呼び起こす。朝鮮半島においては、高句麗が楽浪郡を滅ぼし、北朝鮮を制圧。南朝鮮地域には馬韓、辰韓、弁韓の小国連合が形成され、その後4世紀に入ると、そこから百済、新羅が起こり高句麗との対立が続く。
この騒乱の過程において、朝鮮半島からは亡命者などかなりの数の渡来人が日本に流入したと思われる。おそらくはその中で日本に根拠を置いた、戦乱慣れした勢力が、進んだ武器と技術でもって大和王権を築き上げたのであろう。彼らは王権成立後まもなく(300年代後半)、逆に朝鮮半島南部に武力進出し、伽耶(任那)を支配下に置く。
次に、その間の集団内体制に着目しよう。邪馬台国時代には、既に支配・被支配層が登場し、また大人(支配部族)、下戸(被支配部族)、生口(隷属民)などの身分階級も登場している。大和王権時には、氏姓制度が制定される。「氏」とは支配豪族であり、部民(べのたみ)や奴婢などの隷属民を配下においている。その後支配階級内の度重なる主導権争いと抗争、地方豪族の制圧の過程を経て、大化の改新→律令制度(7世紀)をもって大王(おおきみ)を頂点とする中央集権の身分制度がほぼ固まってゆく
つまり国家の確立とは序列体制=身分制度の確立に他ならない。
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(写真はリンク。からお借りしました。)
>従って、まずは、人類を貫く闘争圧力の中身から、押さえ直してゆこう。
国家が形成されていく背景(環境下)には、縄張り闘争=戦乱の激化)があった。そして、集団を取り巻く戦乱の圧力の上昇に対応する為に、集団の強大化や小国同士の連合が必要となる。そしてそれらの組織を統合する為に、力の原理、つまり強いものが弱いものを従えるという序列本能(リンク。を参照してください)に基づく、序列体制(身分制度)が最先端の統合機能として登場する。その頂点に立つのが国家(支配階級)である。この戦乱の圧力と身分体制による序列圧力は最末端(庶民)にまで貫通した圧力となる。だからこそ人々は、その圧力を前に徴税や労役の義務に従ったのであり、そこ(序列圧力)へ人々が収束していったからこそ、国家は社会的な統合機関として成立しえたのである。
<古代の年表>
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                                     (クリックすると拡大できます。)
この構造は、近代日本(明治期)にも当てはまる。
明治維新の直接の引き金となったのは、西欧列強による植民地化の圧力である。彼らは西欧列強の最新の科学技術に基づく軍事力の力を見て旧体制(幕藩体制)では日本は維持できないことを悟った。
しかし見逃せないのは、それ以前に進行していた国内市場の発達である。寛政の改革、天保の改革など幕府自体が財政難からの改革を余儀なくされたことに象徴されるように、幕府始め、いずれの諸藩も慢性的な財政赤字に苦しんでいた。市場化により「何をするにも金が掛かる社会」になったからである。つまり西洋列強の進出以前に幕藩体制は崩壊し始めていたのである。ちなみに明治維新の中心勢力となった、薩摩や長州はそのような財政難を、藩の専売品の強化、密貿易、西洋式工場の導入等の市場の拡大に対応した藩政改革によって乗り切った藩であり、それを担ったのは下級武士たちである。つまり、市場化の圧力と西洋列強の圧力が明治維新(近代国家)を生み出したのであり、薩長等の諸藩の政策がその土台となっているのである。
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(写真はリンク。からお借りしました。)
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(写真はリンク。からお借りしました。)
しかし、四民平等と言われながらも、旧貴族や藩主など序列体制の頂点に立つ支配階級は「華族」としてそっくり生き残ったことにも注目する必要がある。その意味では明治維新は旧士族に代わって官僚制度がその位置に代わったに過ぎないという見方も可能である。農業を基盤におく自給体制と武力闘争(縄張り闘争)の時代には、最先端機能である身分制度(評価指標)の頂点は武士(武力)であったが、市場の拡大により「お金」の力が、「武力」をしのぐようになってきた時代に移ったことで、市場化を促進させるには全国統一のインフラ整備と法制度が必要とされたからであろう。つまり序列体制はそのまま引き継がれたのである。もちろんこの列強の圧力と市場(闘争の)圧力が生み出した新国家の序列圧力も末端(庶民)まで貫かれた圧力である(だからこそ人々は徴兵制や義務教育にも進んで応じたのである。)
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(写真はリンク。からお借りしました。)
<明治維新年表>
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                                     (クリックすると拡大できます。)
これが、置かれた闘争圧力によって、最先端の統合洋式(国家と序列体制)が変化してゆくことの具体的事例である。
これまでは大きく見ると、生存圧力に基づく生存闘争(縄張り圧力)であった。問題は現在、生存圧力は衰弱するなど新たな圧力に移行していることである。従って自ずと社会体制(国家)も変革される必要がある。
しかし、その問題に入る前に更に、これまで人類の置かれてきた闘争圧力の中身と統合様式、とりわけ未解明の原始社会やそれ以前のサル時代に目を向け、文明時代以前の人類の原基構造について明らかにしていきたいと思う。

List    投稿者 kuwamura | 2010-11-22 | Posted in 07.新政治勢力の結集に向けて4 Comments » 

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コメント4件

 通りがけ | 2011.08.01 12:37

>ここから学べることは
“完全なる認識など存在しない”ということ,そして、なにより”無能の自覚”こそが必要だということです。
>上記を自覚した上で、謙虚に先人達の知恵と自然・歴史に学ぶ姿勢こそが、次代を可能性ある社会へ導く上で必要な認識であると感じます。
至言であると存じます。
さて、地位協定を一刻も早く破棄いたしましょう。

 通りがけ | 2011.08.01 17:36

>「エネルギー」とは?「社会」とは?「人間」とは?(「日本人」の研究!さま)
>>http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/217694712.html
子供は国の宝である。子供を育てる社会は未来へ続いていけるが、子供を見殺しにする国に未来などないのはあたりまえである。
ヤクザの世界のように親(分)のために子(分)が死ぬ逆縁を構成員に要求する社会など、人道に真っ向から背く背徳非合法犯罪組織でしかないのである。
戦後日本社会は田中角栄首相時代を除いてすべて戦争マフィアアメリカを親分とする恥知らずの対米隷属政治を続ける泥棒官僚国家でしかない。
直ちに地位協定を破棄して反人道政治犯罪組織を断罪し解体せよ。断罪無き自主解体は刑事責任の所在をごまかすためであり、犯罪組織の常套手段である摘発逃れ・証拠隠滅・とかげのしっぽ切りであるから、必ずまず最初に厳しく断罪を行わねばならない。

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