2010年06月29日
6/27なんでや劇場レポート「日本人はいつ物を考え出すのか?」(1) 共認充足が最大の活力源。'10年代はそれだけで勝てる。

'10年1月以降、『なんでや劇場』では「力(能力)とは何か?」を追求してきました。
今回の「世界の秩序崩壊と無能エリート⇒日本人はいつ物を考え出すのか?」も「力」シリーズの5回目に当たります。
そこで「力」シリーズの今までの話の流れについて、復習も兼ねた議論からスタートしました。
いつも応援ありがとうございます。

1月のなんでや劇場の結論は「'10年代、私権体制(企業)が崩壊過程に入り、共同体の時代が始まった」というもの。
●私権体制の崩壊を裏づける現象は?
①福知山線事故に代表されるミス大爆発、JALの経営破綻やトヨタの欠陥車問題、さらにはメキシコ湾原油流出事故のBPに代表される隠蔽・誤魔化し・言い訳の蔓延。
②世界金融危機。
'80年代の日本のバブルとその崩壊は日本一国だけの問題で、私権体制の崩壊には繋がらなかったが、'08年以降の世界金融危機は、世界バブルの崩壊である。かつ、その震源地は資本主義の本尊である米・欧であり、崩壊度が大きいのも米・欧であることから考えて、資本主義の破綻or行き詰まりであることは明らか。加えて、ドル・米国債の暴落が起これば、それはドル体制の崩壊であり、そうなれば資本主義は完全に終焉に至る。
③遊びの失速。
近代以降、とりわけ戦後一貫して遊び第一の価値観一色だったが、今や遊び第一は完全に崩壊した。これが'10年代の最大の特徴である。遊びこそ私権追求の活力源(最終目的物)であり、それが失速した以上、私権活力が急速に衰弱してゆくのは必然である。
この私権追求の活力衰弱が全ての根底にあり、'70年以降から始まる私権欠乏の衰弱→物が売れない→市場縮小⇒支配階級には都合が悪いので、国の借金によって人工的に需要を作り出してきた。人工呼吸装置によってかろうじて生き延びているのが現在の市場なのである。しかも、物が売れない以上、ばら撒いたお金は金融市場に流れ込み、市場は必然的にバブル化し崩壊する。
また、私権圧力が衰弱し、序列原理が機能しなくなると、上から命令してもその通りには動かなくなり、各企業において(都合の悪いことは)隠蔽・誤魔化し・言い訳のオンパレードになる。指揮系統が機能しなくなる、この現象こそ、私権体制の崩壊そのものである。
今や、私権体制・序列体制がもたなくなっているということだが、私権企業が衰弱する一方で、'00年代に入って、様々な共同体的企業が続々と登場し、しかも軒並み成功している。これが、共同体の時代に入ったとする根拠である。
'72年に類グループは共同体企業として設立されたが、それは明らかに時期尚早であり、私権社会の中で共同体を実現すべく35年以上に亙って苦闘してきた。その類グループ代表がようやく共同体の時代が来たと自信を持って発信できるようになったことが、共同体の時代に入ったことの最大の根拠とも言える。

●このように、時代は私権社会から共認社会へと大転換を遂げつつあるが、共認時代に必要とされる能力は何か?
共認力(共認形成力)であることは言うまでもないが、その中身は、周りの期待や課題をキャッチする受信力、期待や課題の本質を掴む照準力である。そして、共認力の母胎となるのは周りとの共認充足であり、それこそが共認時代の活力源なのである。
本来、人間関係は充足の素であり、健全な人は人間関係をプラス視しているが、私権時代においては人間関係とは厄介な煩わしいものであったがために、人間関係を否定視し、そこから逃避している人が過半であった。これを逃避体質と言う。原始共同体の時代に人間嫌いがあったはずがないので、逃避体質とは私権を巡って人々がしのぎを削る私権時代の産物である。
私権時代から共認時代へと大転換した今や、共認充足を知らないということは人間失格、少なくとも社会人失格(全く戦力にならない)である。そのためには、まず人間関係の否定視から脱却して肯定視することが共認充足を得るイロハのイである。
充足性・肯定視はとりわけ女の得意分野であり、女の充足性をどこまで引き出せるかが、企業の勝敗を決する。女たちの充足発信(期待やプラス評価)→充足した共認空間づくりが企業活力の源泉となる。
過渡期であるこの10~20年は、充足性の空間→活力だけでも十分勝ってゆける。∵少なくとも、これから10年間は活力を生み出せた所が勝ちだからである。
(2)に続きます。
ありがとうございました。
- by member at 23:00



コメント
>本来、人間関係は充足の素であり、健全な人は人間関係をプラス視しているが、私権時代においては人間関係とは厄介な煩わしいものであったがために、人間関係を否定視し、そこから逃避している人が過半であった。これを逃避体質と言う。
質問が一つあります。他人を信用できない西洋人が考え出した契約(数千年の歴史がある)は、人間関係を否定視した上での行為のように考えられます。
しかし現実の世界は、この契約で成立しており、人が充足関係を求めるようになると、契約社会の崩壊=国家の崩壊も意味しているのでしょうか?
一般人さま、コメントありがとうございます。
人々が充足を求めれば必然的に秩序化に向かうことになります。なぜなら秩序は充足の前提条件だからです。
統合機関たる国家や、評価指標たるお金や契約関係は、いきなり壊してしまう訳にはいきません。それでは充足の正反対になるからです。
現在の国家や市場に代る新しい社会統合機構や新しい評価指標が出来るまでは、それらの機関や指標は残り続けます。より充足できる新たな秩序=新しい社会統合機構の下に、古い統合機関である国家や市場が組み込まれ再統合されると考えるべきでしょう。