2010年04月20日

統合機運の基盤⇒仏教(被征服部族の苦しみ⇒自我・私権の捨象⇒宇宙の摂理への同化)

歴史上の社会統合観念である古代宗教(儒教・仏教・ユダヤ教→キリスト教、イスラム教)が登場した基盤、その時代背景を明らかにする。前回取り上げたのは、儒教(力の原理の追共認⇒序列規範)。
今回は、古代インドの仏教を取り上げる。
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『研究 世界史』(吉岡 力著 旺文社)より引用。

●アーリア人のインド侵入
アーリア人は中央アジアの草原地帯を原住地とした遊牧民であったが、早くから西アジアの進んだ文化を学び、鉄製の武器をもち、しだいに各地に移動していった。このアーリア人の一派は、前2000年から前1500年にかけて南下して、インダス川上流のパンジャブ地方に侵入し、インダス文明を滅ぼし、先住民のドラヴィダ人を追い、あるいは征服してここに定住した。かれらはここで牧畜生活を営んだが、まもなく農耕生活に移り、部族を中心とした共同生活を行った。部族の長をラージャといい、はじめ部族民から選ばれたが、のちに世襲となった。
前1000年ごろから、アーリア人は肥沃なガンジス川流域に移動を始め、先住民と混血して農耕生活を営みながら、やがて多くの部族国家をつくりあげた。
●バラモン教とカースト制度
アーリア人は、もともと自然物・自然現象を神として崇拝していたが、インドの雄大な環境の中で信仰はさらに高まり、これらの神々(天・地・水・火・風・太陽など)への賛歌などを集めたヴェーダを残した。リグ-ヴェーダはその中心であり、もっとも古い。
やがてこのような神々につかえ、しだいに複雑になってきた祭祀を守るため、専門の司祭者が必要となった。こうした司祭者階層がバラモンであり、ヴェーダの呪詞を唱えて神を祭った。その宗教をバラモン教という。このバラモンを最上位とする厳重な宗教的社会制度をカースト制度という。この制度は、アーリア人がインド社会を宗教的・軍事的・政治的に支配し、その優越を保持しようとしたために生まれたものである。バラモン階級は、かれらの支配的地位の確保につとめたので、インド社会は固定化し、バラモン教は形式化し、行き詰っていった。
カースト制度の4種姓は、次のとおりである。
(1)バラモンは司祭者で、社会の最上位を占め、その一身は神聖不可侵とされ、苦行によって解脱できる身分である。
(2)クシャトリアは王族・士族で、政治・軍事にあずかり、社会の秩序を維持し、一般人民の保護に当った。
(3)ヴァイシャは一般の庶民で、農・工・商に従事し、納税の義務を負った。
(4)シュードラは奴隷で、おもにアーリア人に征服されたドラヴィダ人などである。このほか、アウト-カーストという、カーストに属さない雑階級があり、不可触民という最低身分の賤民が発達している。
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「2600年前のガンジス川流域の16の都市国家」
画像はこちらからお借りしました。
●マガダ国の成立
アーリア人はガンジス川流域に多くの小国家をつくったが、これらの小国家では肥沃な土地からの農産物が豊富に流通して商工業がさかんになり、都市国家として発展し、しだいに農村を基礎とする社会制度はくずれていった。前7世紀ごろ、ガンジス川流域には16の都市国家が成立してたがいに争っていた。この中で、ガンジス川中流のコーサラ国と下流のマガダ国が有力となった。
●ウパニシャド哲学
形式化したバラモン教も、経済・社会のいちじるしい変化の中で、地位を高めたクシャトリアの実力に対抗し、バラモンの中で神々の祭祀をこえて教理思想を深める動きが高まり、前600年ごろウパニシャド哲学がおこった。
ウパニシャドはヴェーダの中で宗教哲学の根拠となる文献で、宇宙の根源や生命の本質について究明したものである。宇宙の本体を梵(ブラフマン)、人間の本質を我(アートマン)とし、この両者の一体化、梵我一如となることによって、すべてを超越した常住不死に達すると説いた。そして、これを宗教的に理解し、実践するのがバラモンであるとし、階級的差別観を脱却することはできなかった。しかし、バラモン教の哲理を深め、形式的・儀礼的な教義に対して人生観・宇宙観を究明した点で、インド思想に大きな刺激を与えた。
●仏教の成立
国家統一への動きの中にみられるクシャトリアの進出、商工業の発達にともなうヴァイシャの台頭を背景にして、仏教とジャイナ教が成立した。仏教はゴーダマ=シッダールタによって開かれ、マガダ国に保護され、国王・商人から賎民に至るまで人々に広く信じられ、ガンジス川流域に広まった。
シッダールタはシャカ族のカピラ城主の王子として生まれ、29歳のとき王宮を出て修行にはいり、苦行のすえ、苦行が肉体を苦しめるだけで解脱には役立たないことを悟り、35歳のときにブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いて仏陀(悟りを開いた者)となった。
シャカの教説を根本仏教といい、その要旨は次のとおりである。
(1)人間は社会的階級の差別なく解脱できる。その方法は苦行をへなくてもよい。
(2)社会の複雑な事象にとらわれず、無我に徹し、いっさいは「空」であるという境地に達すれば、悟りを開ける(無我・空)。
(3)人生の苦や煩悩(欲望)をこえた境地にいたるのが理想であり、これに達する方法が道である。道には八正道があり、正しく見、正しく考え、修行することなどがたいせつである(四諦八正道)。
シャカは著述を残さなかったが、その教説は弟子に語った説法に示され、のち弟子たちによって仏典として編集された。
●ジャイナ教
仏教成立と同じころ、ヴァルダマーナにより開かれた。かれがバラモンの階級的差別を否定し、階級によって解脱に差があるべきではないとした点は仏教と共通点があるが、苦行の実践と戒律の厳守を必要とした点は、バラモン教から脱却できなかった。イスラム教の侵入によって衰えたが、現在でも100万人以上の信者がある。

古代インドにおいても新宗教登場の契機となったのは、部族連合(都市国家)同士による争い⇒統一国家(マガダやコーサラ)の成立である。その初期段階では、中国の諸子百家と同様、六十二見と呼ばれる、多数の思想家が登場したらしい。このように、古代インドにおける社会統合機運も、部族連合同士の争いからの秩序化⇒国家(社会)統合期待であると言えるだろう。アーリア部族の正当化観念(守護神信仰)の末裔であるバラモン教では自部族でしか通用しない。統一国家を統合するにはより普遍的な観念が必要になる。そのために登場したのが六十二見と呼ばれる様々な思想群であり、そこで最も普遍性を備えていたのが仏教であったのだろう。
ここまでは儒教も仏教も同じであるが、その中身は大きく異なる。
古代中国では、各部族の争いを止揚するために、とりわけ被服属部族を従わせるために力の原理を追共認させる必要があり、それを観念化した序列規範の体系が儒教であった。そして、その思想は専ら、為政者(力のヒエラルキーの上位)を対象としており、「為政者がどうすべきか?」を説いたものである。
それに対して、シャカが問題にしたのは「民の苦しみをどうするか?」であり、シャカが説いたのは、概ね次のような内容である。
・苦しみの原因は我欲や執着(自我・私権)であり、それらを捨てることで苦しみから解脱することができる。
・そのためには物事の道理を悟ることが必要。この世の全ての事物事象には実体はなく(空であり)、それは常に変化し続ける(諸行無常)。その変化は何らかの原因(因縁)や相関関係(縁起)によって生じる。実体のないものに執着しても無意味であることを悟れば、執着から解放され、その苦しみから解脱することができる。
・つまり、我欲(自我・私権)を滅却(捨象)し、宇宙の摂理に同化することである。
インドにおいて、仏教がこのような思想構造になったのはなぜか?
そもそも、シャカが問題にした「民の苦しみ」とはどのようなものだったか?

アーリア人という異民族に支配された大多数の原住部族たちは、永世固定の身分制度の最下層に置かれ、私権の獲得可能性は完全に閉ざされていた。ここが、それぞれの部族集団が覇権闘争を繰り広げ、集団私権の拡大可能性が開かれていた古代中国との違いである。従って、古代インドの私権の獲得可能性が閉ざされた大多数の被征服部族たちにとっては、私権(我欲)を捨象する思想に帰依するしかなかったのであろう。
古代中国においては(集団)私権闘争をどう秩序化するかが社会統合機運であり、そのために力の序列の追共認⇒序列規範に収束していったのに対して、古代インドでは私権の獲得可能性が閉ざされた民(被征服部族)の苦しみをどうするかが主要な社会統合機運であり、そのために自我・私権の捨象(滅却)⇒宇宙の摂理への同化を説いた。これが古代中国(儒教)とインド(仏教)の違いである。
バラモン教でさえウパニシャド哲学という守護神信仰を超えた宇宙の摂理の追求に向かったのも、こうした社会統合機運が背景にあったためであるが、ここで注目すべきは、支配階級(アーリア人)であるバラモン(司祭階級)とクシャトリア(武士階級)の思惑の違い・分裂である。
いつの時代でも、戦争etc激動の時代には国家権力(武装権力)が強くなり、小康・安定の時代には教会etcの共認権力が強くなる。古代インドにおけるアーリア支配時代も、小さな部族国家群が平和的に共存している安定期には共認権力であるバラモンの力が強く、だからこそカーストの最上位にいたが、部族国家同士の戦争⇒統一国家へ向かう過程では武士階級であるクシャトリアの力が強くなる。
しかも、バラモン教においては(宇宙の摂理を追求したウパニシャド哲学でさえ)解脱できるのはバラモンだけであり、バラモンは自らの特権を正当化するばかりで、国家(社会)をどう統合するか全く考えなかった。これでは、クシャトリアはもとより被征服部族であるシュードラを納得させることはできない。
それに対して、新興の支配階級(武士階級)クシャトリアは、戦争に勝つためにも国家(社会)を如何にして統合するかを考えざるをえない。従って、守護神信仰という集団の統合観念から堕落し、自らの特権の正当化に固執するバラモン教を超えた、新しい思想をクシャトリアが求めたのは当然の成り行きであった。だからこそ、被征服部族であるシュードラをも統合できる普遍性を備えた仏教がクシャトリアの間にも広まっていったのであろう。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2010-04-20 | Posted in 12.現代意識潮流1 Comment » 

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コメント1件

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