2010年04月14日

統合気運の基盤⇒儒教(部族間闘争の秩序化期待⇒序列規範)

「闘争能力の基盤は、みんな発の充足性と肯定視」から引用する。

10年後に求められる力を先回りして予測すると、
社会の全面的行き詰まり⇒新理論が求められるはずだが、そのためには、認識収束の潮流が顕在化し、理論追求に真正面から取り組む人が少数でも出てくる必要がある。そして、そのような理論家が登場する前提条件がある。
2600年前、同時期に仏教・儒教・ユダヤ教という古代宗教が登場した。その共通基盤がある。それまでの部族連合国家から武力による統一国家の成立である。部族連合国家では守護神信仰や神話の共認によって統合されていたが、守護神や神話はその部族の中でしか通用しない。統一国家を統合するには普遍性が不可欠になる。そうした社会統合気運をキャッチして、守護神や神話を超えた、より普遍的な観念(古代宗教)を作り出したのが、釈迦や孔子やモーゼである。
それと照らし合わせて近未来を予測すると、
今後、私権体制の崩壊がますます進行し、一方で、特権階級が暴走し、その無能ぶりがますます明らかになってゆく。いずれ社会統合気運(庶民が自分たちで社会をなんとかしなければ)が顕在化し、社会を統合するために新理論を自分たちで作り出そうとする気運が10年後には登場するはずである。

では、社会統合気運を生み出す基盤は何なのか?「社会統合気運の上昇を媒介するものは何か?」「社会統合観念は、どのような形で必要とされるようになるのか?」といった課題を今後は追求してゆきたい。
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まずは、歴史上の社会統合観念である古代宗教(儒教・仏教・ユダヤ教→キリスト教、イスラム教)が登場した基盤、その時代背景を明らかにしてゆきたい。
一口に社会統合気運と言っても、その中身はそれぞれの宗教によって大きく違う。
まずは、儒教(および諸子百家)の場合である。
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「孔子像」(画像はこちらからお借りしました。)
以下、『研究 世界史』(吉岡 力著 旺文社)より引用。

●春秋・戦国時代
周の支配は、前12世紀から前8世紀ごろまでつづき、支配下の植民都市国家は、山東半島から揚子江流域にまでおよんでいた。前8世紀に周は内乱や北方遊牧民の攻撃によって、都を東方の洛邑(洛陽)にうつし(前770)、その後諸侯の勢力が強まって、周王の命令はきかれなくなった。周の東遷以前を西周といい、以後を東周とよぶ。東周は春秋時代と戦国時代に分かれる。春秋・戦国時代は中国社会の大きな変動の時期であり、従来の都市国家に代わって中央集権的な統一国家が生まれる要素をはぐくんだ時期である。
●諸子百家の開花
春秋戦国の変動期には、諸子百家とよばれるさまざまな学術思想の流派が生まれた。諸国の対立が激化するにつれ、諸侯はあらそって才能ある人材を登用しようとし、富国強兵のために新しい学説が歓迎されたので、多くのユニークな思想が一時に開花する時期となったが、諸子百家の学説はおおむね、いかにして変動の時代に人民をよく治めるかという発想法に立つもので、現実的・社会的色彩の強い政治学説が発達した。
●孔子
中国で古くから発達した天命思想を、人間の自覚による道徳によって、新しい理論づけを行ない、さらにその理論を学ぶ人びとの活躍によって、従来の身分にかかわらず天下・国家の安定を期待したのが、春秋の末の孔子である。孔子は従来の貴族政治の形式を尊重しながらも、法制の整備には反対し、家族同志や郷里の親族の間の道徳秩序(孝・悌)を拡大して、国に、さらに天下に及ぼすことを強調した。そのために、従来貴族に独占されていた周の古制や儀式(先王の礼)の知識を新興の士(君子)階級に開放し、礼楽の教養を身につけて最高の道徳(仁)の実践に努力する人材を養成し、また五経の編纂につとめて、ここに儒家の学派が生まれた。
●墨家
春秋末から戦国初期にかけて活躍した墨子は孔子の家族道徳や礼の形式に反対して、人間相互の広い愛と助け合い(兼愛)を説き、その思想の基盤の上に勤倹節用・薄葬・非戦などの具体的政策を展開した。彼の後継者たちは一種の宗教団体をつくって精力的な活動をつづけ、上層部から庶民にまで教えを拡大させた。これを墨家という。
●道家
老子は儒家の徳を低次元のものとして否定し、無為自然こそ真の道であると説き、自然と人間の調和や「無為にして化す」平和非戦の政治道徳を強調した。かれの後継者荘子は、道の本質は理論的でなく直観的に把握されると主張し、文学性に富んだ老荘思想が生まれた。
●儒家
戦国中期の儒家の孟子はこれらの異説を論難しつつ、孔子の教訓的・暗示的な学説を戦国時代に向いた理論的なものに発展させた。かれは自然界よりも人間社会を重視し、人の本性は善(性善説)であり、それを拡大して、徳をもって天下を治める王道政治を強調し、また儒家思想に歴史的な考え方を導入した。
戦国末期を代表する思想家に儒家の荀子がある。かれは性善説に反対し、人の本性は欲望に弱いもの(性悪説)であり、その是正のために礼が必要であると説いた。またかれは従来の尚古主義を批判し、先王の時代をはなれて現実の政治改革(後王の法)を論じた。
●法家
荀子に学んでそれを法治主義的に展開させたのが、法家の韓非子である。法家は戦国初期の商鞅の実務的活躍の理論づけが行われて発展し、儒家の徳治を法治に置きかえて、法の有効な行使によって業績をあげる必要と、空理空論を克服し実効をあげる理論を強調した。秦は商鞅以来この学説を採用して強国をつくり、全中国の統一に成功した。このように諸子百家の思想は政治哲学の発展を導き出したのである。
●ここにあげた儒墨道法の4家のほかに、戦略戦術を説く兵家(孫子・呉子)、君民並耕による一種の無政府主義を説く農家(許行)、形式論理を説く名家(公孫竜)、外交政策を説く縦横家(蘇秦・張儀)、陰陽五行の理を説く陰陽家などが輩出した。

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「戦国時代の中国の版図」(画像はこちらからお借りしました。)
孔子をはじめとした諸子百家が登場した時代背景は、部族連合(都市国家)同士による争いである。春秋時代の初期には250前後もの諸侯(部族連合)があったらしい。
この部族連合同士の戦乱からの秩序化期待が、古代中国における社会統合気運であった。そこでは「戦争にどうやって勝つか」だけではなく、勝つためにどうやって(為政者が)富国強兵を実現するか、どうやって民を治めるか。それが古代中国における社会統合気運の中身であろう。
従って諸子百家たちの思想は専ら、為政者(力のヒエラルキーの上位)を対象としており、「為政者がどうすべきか?」を説いた思想群である(大衆はほとんど相手にしていない)。私権時代において力を獲得するためには、秩序の根幹である私権の相続によって形成された、既成の力のヒエラルキーの上位者を取り込むことが課題となったのと同じ構造であろう。「闘争能力の基盤は、みんな発の充足性と肯定視」
●古代中国の諸子百家の思想がこうなったのはなぜか?
中国における部族間闘争は皆殺しの掠奪闘争ではなく、覇権闘争による支配・服属が主流である。『実現論』「私権文明を問い直す(東洋と西洋)」 
本源集団は残存しており、それぞれの集団(部族)内部での共認充足も残存している。従って、各集団内部の結束は強い。同時に、各集団の私権の獲得可能性も開かれているが故に、各集団(部族)は集団私権の獲得⇒力の獲得に収束する。しかし、広大な中国社会は力の原理だけでは統合することはできない。とりわけ重要だったのは、服属させた部族をどう安定的に統治するかであったに違いない。
そのためには、被服属部族に力の原理を追共認させるしかない。力の原理を観念化したのが序列規範であり、善き昔(残存規範)に立脚して、悪しき現実を否定し、あるべき序列規範の確立に向かったのが孔子である。
このように、各部族が力の獲得に収束して争う。その争いを止揚する原理、広大な社会を統合する秩序観念が必要とされた。これが古代中国(春秋戦国時代)の社会統合気運だったに違いない。それに応えて様々な思想(諸子百家)が登場するが、その百花繚乱状態から最終的(漢代)に、儒教が支配的思想になったのも、儒教(序列規範)が秩序化(⇒力の原理の追共認)に最も有効だったからであろう。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2010-04-14 | Posted in 12.現代意識潮流1 Comment » 

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コメント1件

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