2010年01月06日

失われた40年~その全面的総括

’90年代のバブル崩壊以降の日本経済の低迷は「失われた10年」と呼ばれてきたが、2010年代に入り、ついに「失われた20年」と呼ばれるようになった。
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まずは90年バブル崩壊以降の市場重視、外需頼みのトレンドが、格差社会を産んだ、と指摘する朝日新聞が出版した書籍の書評から引用する。

asahi.com:失われた〈20年〉 書評


 かつて90年代の「失われた10年」を悔やむ論調がさかんであった。それ以降は、様々な改革によって、ゆるやかな回復が続いた。と思っていたら、今回の世界的な危機に襲われた。
 しかし実は、バブルがはじけてから今日までの日本は、再生がうまくいかなかった20年ではなかったか、と本書は言う。雇用の規制緩和、金融ビッグバン、持ち株会社の解禁、グローバル化やネット社会化への対応など、たくさんの改革や変化があった。戦後の経済成長の限界を超えて、新しい豊かさへ向かうはずであった。
 ところが、今では、行き過ぎた市場重視、ワーキングプアを生んだ派遣の自由化、年金をはじめとするセーフティーネットの不備と「社会保障難民」の増加など、日本社会は激しく痛んでいる。内需拡大に失敗し、外需依存の繁栄も終わった。何よりも、将来を担うべき若年層が痛んでいることが憂慮される。

続いて、2009年末の日経社説。小泉構造改革がリーマン・ショックによって頓挫し、民主党の政策は単に富の分配の見直しに過ぎず、成長戦略がない、と指摘する。

[日経社説] 社説 「失われた20年」に終止符を打てるか(2009/12/29)


 バブル崩壊後の90年代には公共投資で経済を下支えしたが、政府の支出というカンフル剤が切れるたびに、景気は失速した。00年代には小泉政権がバブルの後遺症である不良債権の抜本処理に成功し、経済はいったん上向いたが、その間に外需への依存度が著しく高まった。
 リーマン・ショックの打撃がひときわ大きかったのはこのためだ。いま鳩山政権は経済の内需主導への転換を唱える。だが、その政策が単に配分を見直すだけで成長の芽を見いだせないならば、「失われた20年」からの脱却は難しい。
 危難に遭遇したダチョウは頭を砂にうずめるというが、それでは何の問題解決にもならない。日本以外のアジアと世界はグローバルな競争に挑み続ける。政権も国民ももっと問題に真正面から取り組むときだ。

朝日書評では行き過ぎた市場経済至上主義による社会の疲弊を指摘し、日経社説ではさらなる成長戦略を求める点で、処方箋は一見異なっているようにも見える。
 
しかし、実はこれらのいずれも「バブル経済が未だ回復していない」という視点に立ったものであり、経済成長にその答えがある、という点で、同一のイデオロギーから生じたものだ。

さらに、有名ブロガー池田信夫氏のエントリから引用する。

「衰退の10年」の生き方 – 池田信夫 blog

がむしゃらに利益を追求するのをやめて優雅に衰退しよう、というのは一つの考え方ですが、衰退する社会で生きるのは、成長する社会よりはるかにむずかしい。所得が増えないから、誰かに再分配するときは他の人の所得を減らす「ゼロサム・ゲーム」になり、政治的対立が起こります。特に今のように世代間の所得格差が大きい場合は、バラマキ福祉は貧しい若年労働者から豊かな中高年に再分配する逆進的な政策になりやすい。
 
今のところ、この対立は政府債務という形で先送りされていますが、いずれ大増税か大インフレは不可避です。増税は政治的に不可能なので(物価か資産価格の)インフレが起こるでしょう。それによって政府債務は維持可能になり、年金の実質価値が下がって世代間の所得格差も縮小します。もちろん年金生活者は困窮するので政治的な紛争が激化し、内閣がいくつも倒れるでしょう。しかし戦争とか革命とかいう破局的な事態に至ることは考えられない。

池田氏は2009年末のエントリでは

「日本の直面する最大の問題は所得格差でもデフレでもなく、生産要素を再配分する市場メカニズムが機能しないために生じた効率(生産性)の低下なのだ」
「失われた20年」が終わる – 池田信夫 blog

とし、抵抗勢力の力が強く、市場原理主義に徹しきれない日本に成長の見込みはない、と断じている。そして、日本の再生は経済破局→インフレによって落ちるところまで落ちないと不可能だ、と皮肉交じりに指摘する。

現在求められているのは、時代錯誤的な高福祉社会の構築ではなく、もちろん市場原理主義へのバックラッシュでもない。必要なのは、人間社会がこの数千年間築いてきた国家そして市場という社会システムの全面的な総括である。


これらの短絡的・目先的・反動的なイデオロギーから遠く離れて、人類史的視点に立った分析投稿がるいネットにあったので、紹介する。

現代意識潮流を探る、その深層には?
潮流5:失われた40年

この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。
おそらく彼らは、市場拡大は自分たちの特権を維持するためではなく、国際戦争に打ち勝つために不可欠だったのだと主張するだろう。
 
しかし、それは本当か?
 
本当は’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。
 
問題は国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。
 
この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。
 
これは、次のように云い換えることもできる。生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。それに、物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない
 
このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
 
しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。

彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。

この分析の核となるのが、’70年貧困の消滅、というキーワードである。るいネットの応援サイトでも詳しく解説されているのでぜひこちらもご覧になってください。
金貸しは、国家を相手に金を貸す | 経済破局を突き抜けていく道標 ~潮流5:失われた40年
これを読めば時代がわかる!最新版~潮流5:失われた40年 (家庭を聖域にしてはいけない)
自然の摂理から環境を考える | 環境を考えるには構造認識が不可欠!『潮流5:失われた40年』
なぜ世界的バブルが起こり 弾けたのか – にほん民族解放戦線^o^

List    投稿者 taku | 2010-01-06 | Posted in 未分類 | 2 Comments » 

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コメント2件

 いいじゃん☆ | 2010.08.16 17:23

>小沢チルドレン55人
小沢チルドレンは、小沢さんがいなくなったらどうなるんでしょうか。。
それとも、小沢さんはまだ影(?)でしっかり手綱を握ってる?
小沢さんを担いでいる金貸しの力次第なのかなァ?

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hermes yohji bag 日本を守るのに右も左もない | 民主党内『小沢vs反小沢』勢力図予測(第七弾):衆議院“北陸信越~九州の比例区議員”編

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