2009年12月19日

裁判官はどのようにして判決を下すのか?

本ブログで「法制度をどう改造するか?」という追求テーマが提起されています。 
このテーマについての私なりの問題意識は次の通りです。参考にして下さい。

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【1】まずメスを入れるべきは、検察の恣意的な裁量権。
この特権を振りかざして検察は暴走する。裁量権を検察(法律の専門家)から剥奪し、そこに大衆共認の判断が反映される仕組みが必要である。将来的には、半専任化された公務員が取り組むことになると考えられるが、司法の世界に大衆が参画することを阻む壁がある。
【2】法律はやたら難解で、数が膨大。
その結果、法律は専門家でないと到底理解できない代物になっている。それをいいことに法律家がこの世界を独占しているのではないか。
しかも、新しい法律が大衆が知らない所で作られ、法律の増加スピードは年を追うごとに加速する一方。目先の秩序収束に加えて、被害者意識の強い層や要求が強い層の一方的主張が、マスコミや学校教育を通じて、あたかも万人の主張のようにすりかえられ、法制化されることも一因(マナーファシズム)。しかも新しく増え続ける法律は劣化品だらけ。
そうして新しい法律ができればできるほど社会秩序はガタガタになっていっている。社会秩序を破壊するだけの法律など極力無くした方が社会秩序も安定化し、大衆が参画しやすくなる。本当に必要な法律はどれだけあるのか?
 
【3】そもそも、近代市場社会になってから急に法律が数が増えたのはなぜか?
⇒農業生産時代以前は、藩や村といった集団の規範共認によって律せられていた。市場時代になって共同体と規範共認が解体された結果、規範共認が成立しないバラバラの個人(私権主体)を国家が強権付きの観念(法律)で統合しなければならなくなったことが、膨大な数の法律が必要になった理由では?(法律屋とは近代思想の神官? バラバラの個人を解脱情報で統合したのがマスコミ?)
⇒だとすれば、集団の共同体化・集団規範の再生(集団自治)が基本的方向性であり、それを前提とした法制度になると考えられる(実現基盤は私権の衰弱⇒共認収束の意識潮流)。
「法律はやたら難解で数が膨大で、専門家でないと到底理解できない代物になっている。それをいいことに法律家がこの世界を独占しているのではないか」と書いたが、実際に法律の専門家はどのようにして判断しているのか。
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参考に『リーガルマインドを獲得するために』(梓澤和幸氏)「裁判官の心のうち (2004年 2月25日)」から引用する。

裁判官はいかにして、甲を勝たせ乙を負かせるのか。また有罪、無罪をどのように判断するのか。
裁判官が内心を語ることはまずない。ある著名な刑事裁判官に、無罪事件の判決のことを聞いたことがあった。すると、あっ。とんびが飛んでゆくといった感じで話しをそらした。いやな話題なのだと察してその話はやめた。刑事事件でどんなことを考えているか、その分析は多くの弁護士がやっているし、あまりあたらしい話題でもない。ここでは民事事件の心証のとりかた、民事裁判官がどんなことを考えて判決にむかっているか、一人の民事法廷弁護士が見た観察記を書いておきたい。
それはどうということはない、ごく普通の事件であった。35年のキャリアがあろうかと思われる、ベテラン女性裁判官であった。和解のため裁判官室の隣にある小さな部屋にみんながすわっていた。 「この事件ですけどこんなところでどうですか」 と、あまり重々しくない感じで彼女が案を示した。なんだかその提案の調子が軽く浮かない感じで、双方の弁護士は沈黙していた。「あのですねえ。そんなに深刻に心証をとるわけじゃあないんですよ」「要するに、この事件はこの辺じゃないかなあ、という感じで。厳密に証拠を判断したりするんじゃなく、筋を読むというか。その辺なんですよ」
つぎは14年裁判所の中にいたという知人の話である。
「訴状と答弁書を読んで大体筋を読みますね」 「弁護士になってみると、それじゃ困ると思いますけどね」 待てよ、そうすると私たちが汗をかいてつくる準備書面や集める書証、ものすごい労力をかえる証人尋問はいったい何のために?
もう一人は、60歳まで裁判所づとめを終えた、もと書記官の話。
「こうも見えればああもみえるというように、心証を揺らしてゆくということはないですか」 と手を波間にゆらすような動作で聞くと、いやそんなことをやっていたら裁判官は死んでしまいますよ、というのである。なるほど、大体のところで筋をきめると、あとは、それに都合のよいように証拠を集めてゆくということらしい。そして、それに合わない証拠や主張はうるさがってみようとしないのである。いつまでもこだわる弁護士は変わり者で扱いにくいやつとして、裁判官たちのランチの話題になるのである。私などその話題に上っている口かもしれない。名誉なことであるが。
赤字と黒字という話を聞いた。
一人の裁判官が200件から300件の担当事件をもつ。名前、顔を一致させよと言うのは酷だ。しかも、一月に20件から30件の新件がまわってくる。それより多く事件がカイケツつしなければ、事件はたまる一方である。月に5件は落とさねばならぬ。落とすとは終わらせることだ。どうやっておとすか。和解してくれればありがたい。和解をどうやってやるかはよく話されていることなので、ここでは判決をどう書くのかにふれよう。どう書くのかとはどう審理を進めるかなのである。
そこで早く仮説を立てるという話になる。訴状と答弁書で検討をつけるのである。
審理計画をたてるというと聞こえはよいが、どっちが勝ちと早くみきわめをつけてしまうのである。
ここで仮説について、斉藤茂男という著名なジャーナリストが言い残した言葉に触れておこう。
インテリはある物語にであうと、あらかじめ自分がたてた貧しい仮説にあわせて、それを理解しようとする。しかし、仮説というのは取材によって壊されてこそ仮説なのだ。壊されなければ取材が不足とされ。現場に入ると、自らの貧弱な予測よりも豊かな現実が仮説を破壊してくれるだろう。現実が準備の段階でたてたイメージとちがって見え始めたとき、はじめて君は事実の入り口にたったのだ。
裁判官たちの仮説は、じぶんたちの経験の一面性についての謙虚さにかけると私は思う。
さて、いままで書いてきた話は、私たちの日常でよく見かけることである。要するに事なかれ主義であり、自分たち (専門家、医師、裁判官) がよければよいのであり、多数決主義である。原則にこだわるやつは、うるさいと思う主義である。保守革新、官民とわず、日本中にはびこる官僚主義である。だから司法部がそうであっても、目くじら立てることはないといえるか。そうではない。司法分野ではこれはあってはならない、腐敗の元素なのである。
法科大学院の入試もほぼ終わり、一度は報道もかまびすしくなると思われるが、伝えられるような選抜方法や教育内容で、ここで期待するような裁判官増の変革が行われるかについて、私は厳しい予測にたつ。なぜなら、腐敗の害毒の中心にあったエリート中心主義は、改善されるどころか悪くなったおそれを感ずるからである。出身学部の偏差値が話題になる。上位何校とかが話題になる。これで、もっとも苦しい目にあう人々が涙をふくハンカチの苦さが、大学院生たちの心に座るだろうか。

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『狂った裁判官』(幻冬舎新書 井上薫著)
「法廷が開かれる前に、有罪の判決文をあらかじめ作成している裁判官。内心「無罪」ではないかと思える被告人に対して、自らの保身のために「有罪」を言い渡す裁判官。判決起案という煩雑な仕事を避けるために、脅してでも当事者に和解を強要する裁判官―。日本の司法システムがこうした「狂った」裁判官を生み続けてきたのはなぜか?司法改革を主張し、退官を余儀なくされた元裁判官が、「99%有罪」のからくりを解き明かす衝撃の一冊。」
つまり、360度の視点から事実や証拠を集めて、それに基づいて判決がなされるというわけではない。
裁判官が勝ち負けを決め打ちして、その想定に都合の良い証拠や主張を集めてゆくということらしい。つまり、予め「答えありき」ということだ。
しかも、その答えを決め打ちする裁判官は日本で最難関の司法試験をパスしてきた者たちである。逆に言うと子供の頃から真っ当な仲間関係⇒人間関係を遮断して試験勉強漬けで大人になった者がほとんである。現実の人間世界を遮断してきた受験エリートが決め打ちする「答え」が真っ当なものかどうか、甚だ疑問である。
裁判官の判決がかくもいい加減なものであるとしたら、法律の世界は専門家に委ねなければならない(素人には到底無理)という常識は固定観念にすぎないのではないか。現実世界で生きている大衆が担う仕組みを実現した方が、よほど法の世界も真っ当になるのではないだろうか。
いつも応援ありがとうございます。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2009-12-19 | Posted in 14.その他7 Comments » 

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コメント7件

 ピピ | 2010.07.20 19:30

確かに事業仕分けは目新しかったし、
「へ~、こんなことやってるんだ~」と
密室がオープン・ザ・ドアになった感じで、
わたしのまわりでも盛り上がりました。
ショー的演出も狙いのひとつだったと思いますし、
あんな短時間の丁々発止で予算削減されてもいいのか、
という当事者もいたとは思います。
なので改善の余地はありますが、
「必要か否か」の大きな方向性としては
とても可能性を感じました。
改善しつつ、前進していってほしいですネ。

 匿名 | 2010.07.20 19:35

>単純で真っ当な「必要か否か」という指標が武器です。
>つまり、これまで社会共認をリードしてきたインテリたちの存在意義が無くなったのです。
>(事業仕分けも、インテリたち(官僚・学者)同士の分捕り合戦をインテリたち(マスコミ)が傍観するという構造で、その意味では旧い仕掛けでした。)
「必要か否か」の判断軸が無いからこそ、事業仕分けも上手くいかなかったっということですよね。本当にただ否定するだけの仕分け人と傍観者のマスコミ。仕分けされる側は利権争いの真っ只中で自我を蒔き散らかさす。
目標に遠く及ばなかったのは、当然の結果といえそうですね。
早く「必要か否か」の土俵へ上がってほしいものです。。。

 hihi | 2010.07.20 19:39

ピピさんありがとうございます。
事業仕分けが全て良いわけでも、共認形成の最終形態でも無いと思います。
でも、あれだけ国民が注視したのは、潜在思念に「必要か否か」が浮かび上がったのではないかと。
だから期待したのに、結局政局はグダグダで、その失望が民主党敗退に繋がったのではないかと。

 hihi | 2010.07.20 19:50

匿名さんありがとうございます。
なるほど、確かにそうですね。
面白いのですが、結局、私権闘争を高みの見物して面白がっていたんですね。
政治家対官僚を演出していましたが、実体は財務省がネタを出し、官僚対官僚になっているなど、国民にとって本当に必要ななものが何なのか、まだまだこれからですね。

 匿名 | 2010.07.21 11:22

 事業仕分けは政権交代の画期的な成果の一つでした。但し、官僚利権の枝葉のその部分留まり、日本を差配する特権階級の腐臭に迫ることもせず、小物の発掘に留まったのが残念でした。
 仕分けの場も内野はレンボーと白幡を掲げた小物役人、外野が騙しのマスコミで構成された劇場会議では期待も出来ません。
 脱官僚や脱米(米国金貸し支配)の鋭い視点で切り込むには、ダラ菅政権には全く期待できません。米国の手先となって自集団の特権を肥大させ、同胞・日本国民を苦しめる官僚特権・グローバル企業の特権に事業仕分けの急所です。急所に迫るそんな政権の樹立が民意の根底にあるのではないでしょうか。
                            怒り心頭

 hihi | 2010.07.21 16:38

怒り心頭さん、ありがとうございます。
今回シリーズのテーマは「社会統合を大衆の手に取り戻す」なので政治家はどうでもいいんですが、今の政局自体はひどいですね。
個人的には、小沢氏あたりを中心に民族派の大同団結の動きが起こらないかと期待しているんですが。

 hermes denmark | 2014.02.01 16:41

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