2009年12月14日
社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!シリーズ-3~新パラダイムの効用2 答えを教え広める動因
こんばんは~
前回は、【現実否定の意識から開放されれば、一気にプラスの活力上昇が見られる】ことをクレームはチャンス!を事例に紹介させていただきました。今日は、その上昇活力は自らの活力に止まらず、周りの人々へと広がってゆく、その必然構造をお伝えします
同じく四方さんのるいネット投稿『新パラダイムの効用2 答えを教え広める動因 』より
四方さんは、まずズバっとこう言い切ります☆
●人々が一番求めており、可能性を感じるのがパラダイム転換の言葉なら、その認識を教え広めることが(=人々の期待に応えることが)最大の活力源=動因になる筈である。
これは実は、現実場面での事例がたーくさんあるんです
!!
なんでや露店に立ち寄り、なんで?に答えてもらってスッキリした人は、その答えを周りの同じように悩んだりモヤモヤしている人に、必ず!発信
してくれてるんです♪ そうやって友達の相談に乗って、なんでやさんで教えてもらった答えを話したら、相手がすっごく喜んでくれたんですよー(≧ー≦)♪というのは、本当によく聞く話なんです

写真はこちらからいただきました。
喜んでくれたら、嬉しいですよね☆
でもね、相手が喜んでくれて嬉しいのは、共認動物たる人類にとっては、ある意味当たり前です。だったら、悩んでいる友達の話をウンウンってただ聞いてあげるだけでも、相手は喜んでくれそうですよね。
でも、それが最大の活力源になるでしょうか???
うーん、なんか、イマイチそうですよね。
そうなんです!!
ここで大事なのは、教え広めるのがまさに、【答え=パラダイム転換の言葉】だからこそ!という点なんです
続けて、四方さんの投稿を読み進めてみましょう
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●人々の答え欠乏は、答え=パラダイム転換の言葉が与えられて初めて顕在化する。まずは、それ(答え)に気付くこと。それさえ気付けば(=理解すれば)、後は自分で考えてゆけるし、考えるにつれてより具体的な答え(=個々の構造認識)が欲しくなる。●つまり、まず最初の言葉(=パラダイム転換の認識)を与えた時から答え欠乏が顕在化し、より具体的な言葉を与える度に答え期待が強くなってゆく。
相手との関わりの中で顕在化し強まってゆくこの顕現期待こそ、実現派の最も大きな活力源となる。
【人々の答え欠乏は、答え=パラダイム転換の言葉が与えられて初めて顕在化する。】
この認識は、とっても大事です
みなさんも経験ないですか
「あなたが求めているのは、こういうことなんだね。」と言われて初めて、そうなんだー♪と気づくこと。なかなか言葉化できなくって、もどかしく思っているときに、スッとそれを言葉にしてくれたときの、そうそうそれー
!!という感動
そして、それはまさに潜在思念とぴったり合う観念だから、すごく使いやすい☆
私はるいネットで『認識仲間』という認識を与えてもらって、すっごくまさに求めていたのはこれ~
って思っちゃいました
家族でも、先輩後輩でも、上司部下でも、恋人でもない関係だけど、ともに認識を学びあい、社会を一緒に創ってゆく仲間。そんな認識を紐帯とした関係がある
その言葉が与えられて、誰とでも認識仲間になれるんだ!そう気づいたとき、可能性がぱぁ~っ
と広がったことを、今でも記憶しています
いままでの、学校が一緒、生まれた地域が一緒etcという友人関係、家族関係をひょいと越えて、社会に向かう広がりがそこにありました。
『認識仲間』という言葉が与えられて初めて、そんな繋がり、関係を築いていきたいという想い(欠乏)が顕在化したんです!!こうやって今ブログ
に私が発信しているのも、この認識のおかげです
以上のように、まず発信する中身が答えであること。そしてもう一つ大事なのことがあるんです。それは、答えが与えられるのを待っているのは、自分だけでなく、みんなも一緒なんだということです。
このるいネットに投稿された事例が、まさにその証明です。
答えが与えられ、答え期待が顕在化すれば、それはまさに自分だけでなく周りのみんなも同じなんだと気づける。だったら、その答え期待に応えたい!という思いが生起するのは、必然ですよね。
さらに!!この構造のすごいところは、そういう人が増えれば増えるほど、答えを与えてもらえる人は増えるわけですから、ますます答え期待は高まり、そして、ますます答え期待に応えようとする人も増える♪ってところ。
まさに、充足活力スパイラルなんです♪

なんでやカードはこちらで☆
どうです?最大の活力源となること、なるほど~と思っていただけたでしょうか。
次回は、またまた観念パラダイムの点検に戻ります。
こうやって、ひとつひとつ、効用=可能性と、点検=矛盾点はないか?論理は整合しているか?を繰り返して、認識は出来上がってゆくのですね。ありがたいです
- by mituko at 15:26




コメント
どんな社会や環境においても、発信する・もしくは主張するという概念からは逃れようがありません。
例えば、民主主義の根底には「あなたの考えていることと、私の意見は違います。でも、私はあなたのその異論を尊重します」という考え方が存在しています。
他者との意見交換・相互理解の輪。簡単なようで結構難しい…(時にはしんどくて、くじけそうにもなるけれど)でも、よくよく考えてみたら、その後に待ってる「共通認識」の喜びをたたえているんですよね。
熊川ビジョンさん♪
コメントありがとうございます。(お返事遅くなってすみません)
そうですよね。分かり合えたときの充足(共認充足)は、ひとしおです(^^)よね。
だからこそ、私は、
>発信する・もしくは主張するという概念
からは、そうそうに離脱しないといけないって思ってます♪
ぜひ読んでみてください。
・『発信の動機に不純なかりしか?』
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=10194
>●「皆と違うことを投稿しなければ」とか、「何か反論(or質問)してやろう」とか考えてはならない。そう思った途端に、発信の主体が「違うことを云いたい自我」や「反論したい自我」にスリ変わって終い、「ひけらかし」投稿や「反論の為の反論」投稿や「質問の為の質問」投稿ができあがる。
・『論争が生産的になることはない』
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=220947
>勝ち負けに拘る論争好きの方というのは、いくら博識でも「知的生産」には貢献しない