2009年04月03日
ネットコミュニティの可能性②~共鳴・賛同関係から協働関係への壁を突破するには?~
前回の記事でみんなの意識がより社会へ向けられており認識収束していることが分かったと同時に、既存のコミュニティーサイト群が認識収束を加速しているか、という点についてはそうなっていないのが現状だ。
ではそこにはどんな壁が立ちはだかっているのだろうか。
■認識収束の前に立ちはだかる壁とは何か?
コミュニティーサイト(2ch、SNS(mixiなど)、SBM(ソーシャル・ブックマーク)、Q&Aサイト(yahoo知恵袋など)には、ある共通点がある。それは「コミュニティーの運営者と利用者が完全に別れていることである。言い換えれば、共鳴・賛同から協働への壁である。
利用者は
「収束不全(=統合不全)→外向基調(社会収束)⇒認識収束⇒認識仲間欠乏」と私権に変わる新しい可能性を探索してインターネットに収束している。
従って、利用者は、インターネットの双方向性を活かした共認を形成の場としての可能性を感じてコミュニティーサイトに参加している。
一方、運営者は共認形成の場を作るためにコミュニティーサイトを運営しているのではなく、広告収入を得るための手段として運営している。運営者は利用者の意識を上手く利用することで、以下のような3つの関係で成り立っている。
・スポンサーとコミュニティーサイトとの広告の取引
・無料で場を利用する利用者と(広告つきの)場を提供するコミュニティーサイトとの取引
・スポンサーと利用者との商品取引
従って、インターネットに可能性を感じた利用者がコミュニティーサイトに参加すると必然的に市場の取引関係に参加してしまう構造になっている。しかも、利用者にとっては無自覚に市場の取引に参加することになる「騙し」の構造だ。
つまり、認識収束、認識仲間欠乏が生起しないのは市場原理に絡め取られてしまうことで、みんなが求めている課題を共認し合う関係(=協働関係)を構築できないところにあるのではないだろうか。
この協働関係を構築することの重要性は、仕事でも課題を突破するための戦略パートナーとなることが最大の営業となっている実感ともつながる。共認時代に転換した現代、何をするにも協働関係を築かなければ、何も達成できない時代に突入したとも考えられる。
■この壁を突破するにはどうしたらいいか?
この認識仲間たちのつながりは、既に壮大なネットワークであるとも云える。しかしそれは誰もネットワークとしては意識していない『無自覚なネットワーク』である。この潜在的なネットワークを顕在化させるには、認識革命の必要に気付いた認識仲間たちの自覚的なネットワーク作りが必要になる。るいネット「認識形成サイト4 市場原理の観客読者と本源原理の協働読者」より引用
既にコミュニティーサイトの利用者は、サイトを利用する事で無自覚なネットワークを作り上げている。この無自覚なネットワークを自覚的なネットワークに変える仕組みさえあれば認識収束は加速するはずだ。
読んでくれてありがとうございます。
- by mokki at 20:26



コメント
>市場原理に絡め取られてしまうことで、みんなが求めている課題を共認し合う関係(=協働関係)を構築できない
それ以上に、みんなが答えを求め集まっていることに無自覚であり、誰も答えを持っていないことも大きな要因では。
不安だから集まるのは、本能的な行動だから、不安を解消できる答えを求めていることに気付かないまま集まっているだけでも一定の充足があり、そこにとどまってしまっている。
今までにない潮流をいくつか上げるとすると、
“事実収束”と“人収束”
“事実収束”は、例えば、
マスコミの凋落ぶり、特に捏造や偏向報道に対する反感やマスコミ離れから伺える。
Q&Aなども、かなり内容の濃い回答が寄せられていることからも、事実を知りたい=事実を追求・探索している人が増えている。
“人収束”は、例えば、旧いところではメルトモ、少し前(今も健在?)ならプロフ。今流行りなのが、リアル。
傍目からみると殆ど中身の無い会話のように思えるが、盛んに送受信されている。
人との繋がりや反応充足を求めている。
認識収束⇒認識仲間へと顕在化する潮流は高まっている。
しかし、書かれているように“壁”がある。
(この壁は薄いかもしれないし、まだまだ厚いかも知れない。)
いかに、顕在化させられるかが“カギ”になる。
例えば、
欠乏=何を求めているのか、はっきりと言葉化出来ると顕在化するのだが、そこが曖昧。
“共に分かり合いたい、認め合いたいという共認充足を求めている。そしてその可能性は開かれている”と認識できるか否か。
“事実”を知ってどうするか?
「いかに、みんなの役に立てられるか?」という意識に向かうことが出来れば、その為には、断片的な事実だけではダメで、事実を構造化していくことが必要=認識の必要に気付く。若しくは、“答え”=新しい認識が与えられて、役に立ったという実感、充足が感じられるようになると、顕在化しやすくなる。
“答え”の供給が大事になってくる。
そして、“答え”は一人では出せないので、協働者が必要になってくる。
あなたのおっしゃられることは、よくわかります。
現代、独り者の男性ならば、年収100万円で生活できます。
京都在住の、私の例です。
家賃4万7千500円×12+9万5000円(保証金)=66万5000円
食費他1000円@1日×365=36万5000円
計、103万円。
この他に必要なのは、医療・教育・エンターテイメントです。
この三者を、コミュニティーによって質高く受け取ることができれば、現在の日本では年収100万円で快適に暮らすことができます。
おそらく日本人は、それを見抜いています。
だから、コミュニティーサイトが栄え、貨幣経済が不況なのです。
いったいコミュニティーを、貨幣経済に乗せるべきだろうか?
私は、その展望に未来があるとは、思えません。
しかし、貨幣経済は、必要です。
人間の力を結集してイノベーションを作り出すためには、貨幣経済なしではたぶん無理です。貨幣経済なしでイノベーションを行おうとしたソ連は、第二次大戦前後の野蛮時代ならばうまく行ったが、成熟したブレジネフ時代になって、失墜しました。
だから、人の充足を得る場として安上がりのコミュニティーがあり、他方で貨幣経済を沸き立たせるイノベーションの場が、今後の不況脱出にはあるべきだと思います。
私は、それは東北アジア経済共同体以外にないと、思います。
日韓トンネル。
地域共同通貨。
域内での営業活動の、段階的な自由化。
日本人のコミュニティーの輪が、ぐんと広がることでしょう。その上、経済が活況を呈することは、間違いありません。
>のだおじだん
>みんなが答えを求め集まっていることに無自覚
確かにみんなが答えを求めているという感覚が無いのが、コミュニティーサイトがネットワークとして認識されていかないことに繋がっていると思います。認識仲間を作るための自発的なネットワーク作りが課題になるのではないかと考えています。
>にっしんさん
今の社会不全は恒常的にかかる外圧なので、それに対する場も当然常に必要とされている。となると一緒に考える場があれば、みんながそこへ収束していき、課題共認が生まれる。こうなれば認識仲間収束も加速していく。
今、“仲間”と認識するための仕組みが足りないのではないかと考えています。
>SuzumotoJinさん
東アジアで共通通貨という案を唱えている学者もいるので可能性の一つだと思っています。しかし、一方で今回の金融危機はただの不況という次元を超えていて、単純に経済圏を拡大するという旧い手法では立ち行かないレベルの危機だと考えています。
となると、今みんなが集まるネットコミュニティーを使って、今後の経済政策などよりたくさんの人の手で新しい方向性の模索するのには言いタイミングだと思います。
そんなサイトを立ち上げれば両方の欠乏を充たせる仕組みが作れるのではないでしょうか?
>スズムシさん
まさに、あなたのおっしゃるとおりです。
私はコメントで経済についてだけ焦点を絞って書きましたが、私が韓国・台湾・香港を回り、その土地の人々との交流を積み重ねて痛感したことは、「この地域の人たちとは、直感的なレベルで分かり合えることが、あまりに多すぎる」というものでした。
ゆえに、東北アジア経済共同体は私の持論なのですが、私が予感しているその効果は、ただに投資活動の活発化だけにとどまることなく、それぞれの地域の住民がヒトの交流を活発化させることを通じて、人間としての品格とでもいうべきメンタリティーを向上させることができるのでないだろうか、ということなのです。
似ているが、違う点のある文化を担った民ともっともっと接触する機会が与えられれば、ヒトはより自分の立場に対して反省する機会を得られるし、自分という民族に対する特殊な点に対する反省と、他方で美徳である点に対する自覚と自信を得られる道に、つながるのでないかと、私は思っているのです。
私は、不特定多数の参加者の意見を結集するようなサイトを作ったことが、いまだありません。
だから、どのようにして今は単なる私の個人的意見にすぎないものを、他人との議論を通じてより広い視野をもった説得力ある主張に変えていくかの戦略は、模索段階です。
とにかく、早急に試みたいと思います。
ありがとうございました。