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2008年12月18日

人が人を裁くということ

裁判員制度に疑問!
 先日、 「通り魔殺人が最多13件に、死傷者42人」というニュース記事を読み、“通り魔殺人の増加件数や数”のみが強調され、昨年までは、殺人件数4年連続で減少どころか “昨年度は殺人件数が戦後以降最低だった” ことは、やはり報道されないのだな…と思いつつ、今日は「裁判員制度」について書きたいと思います。


「裁判員制度」は、前記事の系譜中にも紹介されている
年次改革要望書によるアメリカからの圧力の影響が大きいといわれていますが、この「裁判員制度」について作家の高村薫さんが興味深いことをおっしゃっていたので、ご紹介します。


 人が人を『裁く』には、その根拠が必要となる。では、その根拠とは何か?


高村さんは、「裁判」という制度は、法律という一般市民が承認した共同体での約束事に基づいて、法律の専門家が行うことを根拠に成立しているのだとの考えを示し、市民感情を根拠に裁判を行うということの意味が理解できないと語っています。


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『人が人を裁くとはどういうことか 作家・高村薫氏インタビュー(2008年11月25日)』 m117 リンク)より引用します。


●市民感覚で人を裁けるのか

神保:高村さんは、裁判員制度についてはどのような考えを持っているか。

高村:私は、そもそも人が人を裁くということを考えた時に、法律の専門家が行うということが、人が人を裁くという制度を成立させている根拠だと思う。だから、紙一枚で法律の専門家でもない一般市民が借り出され、法廷に座って人を裁くということ自体が、私には理解できない。もしそんなことが許されるのであれば、裁判という制度の根拠をどこに求めたらいいのかということになるので、私自身は市民が一般参加するということ自体が理解できないという立場だ。
 だから、裁判員制度には結果として反対だ。私自身が一市民として、人を裁くということができるとは想像できない。

 
神保:まさにそこが、裁判員制度の是非をめぐる議論の重要な争点だと思う。推進派はむしろ、市民の司法参加を導入の根拠にしている。専門家だけに任せるのではなく、市民も参加することで、自分のこととして考えるようになるとの主張だ。この議論についてはどのように考えるか。
 
高村:今回導入され刑事裁判で考えると、市民感覚というのはそもそも何ぞやということになる。市民感覚は、時代や社会などによりいくらでも変わっていくもので、根拠がない。根拠がないものを根拠にして人を裁くということになると、同じ犯罪で、ある時には有罪になり、ある時には無罪になる。あるいは、ある人は懲役10年、ある人は20年ということが根拠なしに起こる。これは、私には想像できないことだ。市民感覚を根拠にするということ自体が私にはわからない。

●裁判制度が成立する根拠とは何か

神保:高村さんは、市民が人を裁くようになると裁判の根拠自体がわからなくなるとおっしゃったが、前提になっている裁判の根拠とはそもそも何か。

高村法律は、一つの共同体の中での約束事だ。一般市民が約束事として承認し、承認することによって機能している。法律に基づく裁判の根拠は、法律の専門家が行うということだ。そういう制度であるから、一般社会が承認をしている。だから、私たち誰でもいい人間、一般市民が行って良いことではない。そうでなければ、そもそも法律家とは何ぞやということになる。


神保:市民の司法参加の意味として、日本人は何でもかんでもお上に頼り、お上に任せておけばいいのだと考えることが問題なのではないかという指摘がある。自分が近代社会の担い手の一部だという意識が希薄で、何かあればすぐに行政等に頼るところが問題であり、司法に参加することで、参加意識が増すはずだと裁判員制度の推進派は主張している。

高村:法律の専門家に任せることの意味は、市民が承認をするということなので、お上に全部預けるという意味ではない。それに、法律はあくまで主権者たる国民が、この法律でいきましょうという承認を与えているわけだから、決してお上任せではない。
 むしろ、本来であれば、裁判は政治家たちが法律を恣意的に運用することを裁くことができる。あくまで三権分立だから、裁判はお上からは独立したものであるべきだし、そうであるという前提をもとに裁判制度というものを承認しているのだと思う。なので、お上に任せるというのは全く違う議論だ。


●なぜ今、裁判員制度なのか?

神保:今の日本で行われている、専門家が長い時間をかけて事実認定と刑期を決める精密司法を否定する根拠を、 「時代の要請」だと推進派の人は言う。今裁判員制度を推進しようと考える人たちやその動機について、時代の何がそう言わせているのだと高村さんは考えるか。誰かにメリットがあるのか、あるいは、彼らなりの公共心から主張しているのか。

高村:今推進派の方々が言っている「時代の要請」という言葉は、後から出してきたものだと思う。時代の要請というのは漠然としているし、変化するものだ。だから、大きく裁判員制度を変える条件に、時代が当たるはずがない。
 なぜこんなに拙速に、刑事裁判で、しかも重大な刑事事件に裁判員制度に導入することになったのか。非常に公正な立場、もしくは公共の精神に基づいて裁判員制度を考えるのであれば、当然民事のほうから始めるべきだったわけだが、民事は政府が絶対に手放さない。本当は民事裁判の方が、市民感覚を生かすべきところとして裁判員制度が適切だが、政府の壁を突破できないから、とりあえず刑事裁判でということになったのだろうと、私は理解している。刑事裁判を時代の要請に合わせるということが最初にあったのではないと考える。


神保:どうしても民事裁判を手放したくない政府の論理をおうかがいしたい。

高村:民事裁判の中でも、特に行政訴訟だ。行政訴訟では、どんなにしても国あるいは行政府の責任が問われたことがない。たとえ公害裁判などで問われたとしても、20年、30年かかる。決してすっきりと責任が認められるわけでもなく、和解という形で落ち着く場合が多い。そういう形での、国と行政府の壁の厚さ、高さ。私は、これがこの国の一番の問題のところだと思う。
 私たち市民が裁判に参加をして、いわゆる公共の利益について、私達の意識、私たちの希望を実現させるというのであれば、絶対に行政事件だ。行政事件で、私達の公共の利益が守られなければならないし、私たちの本当の公共の利益というのは、行政裁判でしか実現されない。しかしその部分は、当面崩れない壁だ。

『人が人を裁くとはどういうことか 作家・高村薫氏インタビュー(2008年11月25日)』
m117 リンク)より引用

この中で高村さんがしきりにおっしゃっている人を裁く“根拠”とは何か Rolling Eyes m052
それは、共同体の中での規範だと思います。その“根拠”となる共同体・規範もなしに、一個人が人を裁けるわけがありません。


かつ、この12月から、被害者が裁判に参加できる「被害者裁判参加制度」がはじまったといいます。


>被害者は、法廷で検察官の隣に座り、被告や証人に質問できる。検察官が求刑した後、被害者も被告の量刑について意見を述べることが可能になった。ドイツやフランスなどで同様の制度が導入されている。


 
これにより、より感情に流されるような判決が増えることが容易に予想されます。


>マスコミ報道が国民感情を完全に支配し、司法裁定を感情論へと落とし込めて行く。これこそが、裁判員制度導入の最大の狙いではないだろうか?

>こうなれば、更なるマスコミ支配が急速に進む。
その支配内容は、「感情論」一色となり、マスコミの報道が国民感情を左右する。裁判員制度に関して、全マスコミが100%賛成である点からも、この疑いは濃厚だ。
感情論とは詰まるところ”好き嫌い”であり=”誤魔化しのわかりやすさ”である。すなわち「感情論」による世論支配とは、社会が全て”誤魔化しのわかりやすさ”に陥れられていくことを意味する。

(  『「裁判員制度」最大の狙いは、「感情論」による国民支配』 より )


これだけ疑問点が多々あげられようとも、このままこの制度は実行されてしまうのでしょうか m052

私たち一般大衆も、 「自分が裁判員に選ばれてしまったら、どうしよう」などという小さい枠を超えて、
発信していく必要性を感じています。

コメント

高村さんが言っている「法律は共同体の約束事」というのと「法律の専門家が取り扱うことを前提としている」というのに若干の矛盾を感じます。

marineさんが書いておられるように、専門家でもなく、共同体の代弁者でもないマスコミ支配がこれほど酷い有様なのに裁判員制度が強行されることの方に危険性を感じます。

  • taku 2008年12月18日 21:17

おっしゃるように感情論で判決が下されるような、極めて不安定な裁判になるのはないかと危惧しています。一般市民をむりやり巻き込み、司法制度を混乱させることが、今後の社会にとって本当に得策なのでしょうか。

むしろ、失われた規範を如何に再生していくか、という視点でそれこそ教育制度を改革していく、といった方策こそが、社会を良くしていくという意味で、根本的な答になるのではないかと思います。

  • kenken 2008年12月18日 23:00

裁判員制度の危険性については、引用されている投稿でも書かれているように、感情が判決を支配することになるのは、間違いないと思います。しかも、現在のメディアが”厳罰化”に流れている以上、厳罰判決が続出する危険もあるでしょう。

しかし、よく考えてみると、それこそ(厳罰化)が裁判員制度の最大の眼目であり目的であるように思います。裁判員制度は、「国民の司法への理解を深める」と建前では言われますが、国民の司法への理解を深めるなら、中学の必修科目にすればいいだけの話です。「現在の司法制度を変えたい」つまり、メディア(の流す風潮)に合わせた判決を出したい=厳罰化へ舵を切ることが、裁判員制度の最大の目的だろうと考えています。

司法制度改革論者の正義感的な意識からは、「厳罰化によって、今の日本を立て直す」ことを狙っているのでしょう。
確かに、”禁止”規範を作り、罰則を定めることで、禁止行為を行うものは一定は少なくなるでしょう。しかし、現在の(減ってきたとはいえ)凶悪犯罪が、「罰則がゆるいから犯したものだ」と言えない限り、厳罰化によって凶悪犯罪が減るとは論理的には証明できません。
実際に、共同体の一員として生活することを考えた場合、規範とは罰則だけではなく、可能性を示す規範のほうが重要なはずです。どんな仕事のチームであれ、まず共認されていくのは、「これをやっちゃダメ」ではなく、「こうすればうまくいく」の方ですよね。
(高村薫氏の論説は、この二つの規範の混同によって、混乱しているのだと思います。)
社会全体のこれからの方向性を考える上でも、罰則規定を強めていくのではなく、社会全体の可能性(≒充足規範)をどのように指し示し、共認していくのかという視点が欠かせないと思います。
それを捨象した司法制度改革論議は無意味です。

アメリカからの年次改革要望書によって、法科大学などが増えていると聞いたことがあります。
この裁判員制度も?

アメリカの本当の狙いはなんなのでしょうか?
マスコミ支配?それがどのようなメリットが生まれるのか?
いろいろ分からないことが多いです。

  • show 2008年12月19日 00:01

みなさん、コメントありがとうございます☆

kenkenさんや、ないとうさんの言われるように、

>●失われた規範を如何に再生していくか(by kenkenさん)
>●規範とは罰則だけではなく、可能性を示す規範のほうが重要(by ないとうさん)

あたりは、私もかなり重要だなと思います。

>●アメリカの本当の狙いはなんなのでしょうか?(by showさん)

は、『マスコミ支配』がまずはあると思いますが、
なにやらもっと、その背後にも思惑がありそうな気がします。もっと、調査していきます。

>●専門家でもなく、共同体の代弁者でもないマスコミ支配がこれほど酷い有様なのに裁判員制度が強行されることの方に危険性を感じます。(by takuさん)

同意いただき、ありがとうございます。
このままそうならないためにも、もっと追究し、発信していきたいと思います。

  • marine 2008年12月19日 04:07

裁判員制度は、裁判のいい加減なものにして犯罪者を野に放し治安を悪化させるためだと思います。「シカゴ」と言うミュージカル映画がありましたが、あれが未来の日本の姿だと思います。なにやら、最近は刑務所まで半官半民になるようですが、刑務所って極端に言えば減少してもいいはずのもの。そこに民間が目をつけると言うことは、刑務所が繁盛することが予想されるのでしょうか?これから移民も増えそうな状況です。それに備えてかな?国籍法改正案の一件でマスコミはまったく信用できないと言うことがはっきり分かりました。

  • gbc 2008年12月19日 17:25

「裁判員制度」って、一見響きの良いものに聞こえますが、実は人の感情で大きく判断が変わってしまう、とても恐ろしいものだと実感しました!!

ちょっと考えたら、分かること。
こんなに危機感を感じるのに、これでいいわけないって、何の知識のない私でも思います!!

  • うさぎふくろう☆ 2008年12月19日 19:57

gbcさん>

>刑務所って極端に言えば減少してもいいはずのもの。そこに民間が目をつけると言うことは、刑務所が繁盛することが予想されるのでしょうか?

これ、気になりますね。ちょっと詳しく調べてみたいです。

うさぎふくろう☆さん>

そうなんですよね。普通にかんがえたら、これでいいわけない!!って思いますよね。こういう違和感や危機感を、発信していきましょう。

  • marine 2008年12月20日 04:28

 管理人さん、実はここの受け売りです
http://2chrood.blogspot.com/2008/11/blog-post.html

  • gbc 2008年12月20日 11:51

gbcさん☆>

URLまで教えていただいて、ありがとうございます。
読んでみます!!

  • marine 2008年12月20日 22:52

>ないとう@なんで屋さんのコメント

>しかし、よく考えてみると、それこそ(厳罰化)が裁判員制度の最大の眼目であり目的であるように思います。

これはどうかな。メディアや野次馬的な視点ではすぐに厳罰化や死刑を叫ぶ声が大きいですが、実際に裁く現場では普通の人は死刑判決を出すのに躊躇するように思います。

そもそも裁判員制度の対象となる事案は死刑又は無期懲役が訪われるような凶悪事件。一般人の社会通念がもっと反映されてもおかしくない家庭裁判所や民事裁判は対象外です。

↓のブログでは、裁判員制度は死刑廃止をもくろむ公明党の画策によって生まれたのではないかと推測しています。

これで良いのか裁判員制度 - 無党派日本人の本音
http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/e/004e3d10c35c0e6f6e26da7282aa5987

  • taku 2008年12月21日 12:39

>これはどうかな。メディアや野次馬的な視点ではすぐに厳罰化や死刑を叫ぶ声が大きいですが、実際に裁く現場では普通の人は死刑判決を出すのに躊躇するように思います。

現在の日本で裁判員制度を導入すれば、マスコミの発する感情論に判決が傾いていくことは明らかです。現在のマスコミによる支配が弱まっている(弱まっていく)ことを示唆する現象はほとんどない訳で、(口ではマスコミは信用できないといいながらも)マスコミが作り出す「空気」には誰も逆らえないでしょう。

現在の凶悪事件に対するマスコミの論調は、「厳罰化」です。2chもそう。「あんな凶悪事件を起こしたのに、無期懲役で何年か経って出てくるのはオカシイ」と、被害者の声と合わせてマスコミが報道を続けた場合、その「空気」に逆らって、短い服役期間の判決を下すことはできるのでしょうか?

裁判員辞退の返信は12万通、アンケートでは35%が辞退すると答えたそうですが、彼らは厳罰化賛成派ではないのでは?

  •  2008年12月25日 20:09

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