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2008年08月19日

天皇家のルーツは朝鮮半島南部にある

「朝鮮半島からの流入民との融和をもたらした古代日本人の縄文的性質」
「古代日本史は、氏族集団間の闘争史」
「古代朝鮮からの侵略部族が、一貫して日本を支配してきた」
と興味深い記事が続いている。


上記の記事から伺えることは、日本の支配階級、その中核にある天皇家のルーツは朝鮮半島南部にあるということだ。


井沢元彦氏も『逆説の日本史~1古代黎明編』で同じような仮説を提示している。


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宮内庁が「天皇陵」の学術的調査を認めない、本当の理由は何か。 もちろん、それは「公式見解」ではないから、新聞・雑誌には一度も載ったことはない。 だが、事情通の間では、これが真の理由だと噂されるものがある。

それは、「天皇陵」を発掘すると天皇家と朝鮮半島の関係が明らかになるから、反対しているのだ」という見方である。もっと具体的に言えば、「天皇家」の祖先が朝鮮半島から渡来したことの証拠が出てくる恐れがあるからだ」、ということだ。


ここで気がつくことは、古代の天皇家が「内官家(うちつみやけ)」という領地を、朝鮮半島の一角に持っていたと考えられることである。この「内官家」は任那(みなま)日本府と呼ばれ、戦前の歴史では、日本が朝鮮半島に進出し一種の「飛び地領」を持っていたと解釈されてきた。戦後になってからは、当時の後進国であった日本が朝鮮半島に進出できたはずがない、とされ、そんなものの存在を主張するのは、帝国主義の夢が忘れられないからだと非難される時代もあった。

今でも任那という言い方は正確ではないと言えるかもしれない。
むしろ加羅(伽耶かや)と呼んだ方がいいだろう。
高句麗・新羅・百済の三国が成立する以前、朝鮮半島の最南部には確かにこういう国があった。それは最近の発掘でも明らかにされている。


天皇家のルーツは朝鮮半島南部にあり、それゆえに天皇家は「内官家」(朝鮮半島の飛び地領)を大切にしていたのだ--これが豊田有恒氏の考え方である。これは非常に可能性のある仮説だ。

なぜなら、今でも韓国人は「本貫(ほんかん)」というものを大切にしている。本貫というのは自分の先祖の出身地のことで、これを知らない韓国人は一人もいない。韓国人は20世紀の現代でも、儒教の影響によって先祖崇拝の傾向が強い。だから、すべての人は本貫を意識している。

そこで、もし、天皇家の本貫が朝鮮半島南部の「内官家」だったとすると、天皇家がなぜ執拗に「内官家」回復を願ったかが、理解できる。それは侵略というよりは、先祖の故地を回復しようという運動だったことになる。


この仮説には、傍証となる事実がある。

『太平記』の時代、後醍醐天皇の側近北畠親房の書いた『神皇正統記』には、「昔日本ハ三韓ト同種也ト云事ノアリシ、カノ書ヲバ、桓武ノ御代ニヤキステラレシナリ」(昔、「日本は三韓と同じ種族である」と書かれてあった書物を、桓武天皇の治世に焼き捨てた)、と書いてあることだ。

つまり、平安京を作った桓武天皇の時代(8世紀末)までは、そういう書物が実在していたことを、この記述は示している。この桓武帝の母高野新笠(たかのにいがさ)は、百済系の帰化人の子孫であることは、日本史の常識である。その百済系の天皇の治世に「証拠」が消されたということは、現代に通じる何かを感じさせる。


ちなみに、高句麗や百済にも天孫降臨の神話があるらしい。これも「天皇家朝鮮起源説」を裏付ける。


天皇家のルーツは朝鮮半島南部、任那(伽耶)、その源流の弁韓にある。任那(伽耶)は飛び地領ではなく、むしろ任那(伽耶)の方が本拠地だったのだ。それ以前の志賀島の金印「漢倭奴國王」の時代から、志賀島周辺が朝鮮半島南部の国家の支配下にあったのではないか。(「倭」とは、日本のことではなく、中国から見て東の地域を指す。)


「朝鮮半島からの流入民との融和をもたらした古代日本人の縄文的性質」にあるように、6~7世紀に新羅によって滅ぼされた任那(伽耶)、百済から大量の渡来人が支店である日本に亡命してきたが、彼らが侵略者に転じなかったのも、既に確立していた大和朝廷という同胞国家に迎え入れられたからであろう。彼らにとって日本が本拠地になったのだ。


その後も歴史上、失地回復戦争が行われてきたのは「古代朝鮮からの侵略部族が、一貫して日本を支配してきた」にもある通り。

日本史を考える上で重要な視点である。

(本郷猛)

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