2008年08月02日

『資本論』が流行っている?⇒市場の構造理論への収束か?

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小林多喜二の『蟹工船』やマルクスの『資本論』が流行っているらしい。
以下、2008年7月31日『産経新聞』【正論】京都大学教授・佐伯啓思『「マルクスの亡霊」を眠らせるには』からの引用。
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≪急速に左傾化する若者≫
 若い人を中心に急速に左傾化が進んでいる。しかもそれはこの1、2年のことである。小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになり、マルクスの『資本論』の翻訳・解説をした新書が発売すぐに数万部も売れているという。若い研究者が書いたレーニン論がそれなりに評判になっている。書店にいけば久しぶりにマルクス・エンゲルス全集が並んでいる。私のまわりを見ても、マルクスに関心を持つ学生がこの1、2年でかなり増加した。
 私のように、マルクス主義左翼全盛の学生時代に知的好奇心をやしなった者にとっては、マルクスを「卒業」したところから社会科学の研究は始まったはずであった。そのような時代的経験を経た者からみると、この動向は何か奇妙にみえる。
 しかし、考えてみれば決して不思議なことではない。近年の所得格差の急速な拡大、若者を襲う雇用不安、賃金水準の低下と過重な労働環境、さながら1930年代の大恐慌を想起させるような世界的金融不安といった世界経済の変調を目の前にしてみれば、資本主義のもつ根本的な矛盾を唱えていたマルクスへ関心が向くのも当然であろう。おまけに、アメリカ、ロシア、中国、EU(欧州連合)などによる、資本の争奪と資源をめぐる激しい国家(あるいは地域)間の競争と対立は、あたかもレーニンとヒルファーディングを混ぜ合わせたような国家資本主義と帝国主義をも想起させる。

 ≪「無政府的な」資本主義≫
 この事態を生み出したものは何だったのだろうか。いうまでもなく、社会主義の崩壊以降に一気に進展した金融中心のグローバリズムである。
 資本主義の崩壊、社会主義への移行というマルクスの予言は間違っていると考えていたので、私にとって、社会主義の崩壊は、その時期はともかく、ある意味では当然であった。しかし、その後のいわゆる新保守主義もしくは新自由主義のいささか傲慢(ごうまん)なまでのグローバル市場礼賛は、私にはあまりに危ういものに思われた。絶えず貪欲(どんよく)なまでに利潤機会を求めて拡張を続けようとする資本主義は、過度な競争の果てに、社会そのものを深刻な不安定性の深淵(しんえん)に引きずり込むのではないか、と思われたのである。
 社会主義の崩壊以降の真の問題は、資本主義の勝利を謳歌(おうか)することではなく、いかにして「無政府的な」(つまり「グローバルな」)資本主義を制御するか、という点にこそあったのである。
 グローバリズムは、経済の考え方を大きく変えた。戦後の先進国の経済は、製造業の技術革新による大量生産・大量消費に支えられて発展してきた。賃金上昇が需要を喚起してさらなる大量生産を可能とし、一国の経済政策が景気を安定化したのである。社会は中間層を生み出し、政治は安定した。明らかにマルクスの予言ははずれた。
 しかし、80年代のアメリカの製造業の衰退は、資本主義経済の様相を大きく変えていった。国内での製造業の大量生産ではなく、低賃金労働を求める海外進出によって、さらには金融・IT(情報技術)部門への産業構造の転換によって、資本と労働を著しく流動化させ、そこに利潤機会を求めた。

 ≪「経済外的」な規制必要≫
 その結果、90年代に入って、利潤の源泉は、低賃金労働や金融資本の生み出す投機へと向かった。要するに、製造業の大量生産が生み出す「生産物」ではなく、生産物を生み出すはずの「生産要素」こそが利潤の源泉になっていったのである。かくて、今日の経済は、確かに、マルクスが述べたような一種の搾取経済の様相を呈しているといってよい。
 資本主義が不安定化するというマルクスの直感は間違っていたわけではない。しかしむろん、マルクスの理論や社会主義への期待が正しかったわけでもない。マルクスに回帰してどうなるものでもないのである。
 問題は、今日のグローバル経済のもつ矛盾と危機的な様相を直視することである。市場経済は、それなりに安定した社会があって初めて有効に機能する。そのために、労働や雇用の確保、貨幣供給の管理、さらには、医療や食糧、土地や住宅という生活基盤の整備、資源の安定的確保が不可欠であり、それらは市場競争に委ねればよいというものではないのである。
 むしろ、そこに「経済外的」な規制や政府によるコントロールが不可欠となる。「無政府的」な資本主義は、確かにマルクスが予見したように、きわめて不安定なのである。マルクスの亡霊に安らかな眠りを与えるためには、グローバル資本主義のもつ矛盾から目をそむけてはならない。(さえき けいし)

昨今の『蟹工船』やマルクスの『資本論』の流行りは、単なる左傾化ではない。左や右といったイデオロギーを超えた潮流である。
そもそも、マルクスの『資本論』とは、どのような書物か?
「第1篇 商品と貨幣」から始まり、「第1部 資本の生産過程」「第2部 資本の流通過程」「第3部 資本主義的生産の総過程」から成る、資本の成立過程とその運動法則を追求した理論的大著である。現在から見れば、誤りを多々含んだものではあるが、このような難解な理論は長年敬遠されてきた。
1970年貧困の消滅と同時に、全ての思想は大衆的にその生命力を失った。マルクスも同様である。マルクス主義によって導かれた社会運動も崩壊して久しい。それが復活するのはなぜか? 市場の縮小と脱市場の流れと連動していると考えられる。
石油や食糧の高騰を契機に、市場の縮小がいよいよ顕在化しはじめた。
「車離れが始まった!!~通行台数減り、駐車場に空き~」
その他にも、「購買意欲(調査史上)最低」7月12日読売、「カネもヒマもなく~レジャー控え」7月30日日経など、物価高騰を契機として、生きる上で不要な自動車やレジャーから市場の縮小が始まっている。
しかも、この動きは非可逆的である。一度でもレジャーがなくても車がなくても平気であることを人々が体験してしまうと、こうした需要が復活することは二度とないだろう。こうした市場縮小と脱市場の流れの中で、マルクスが流行っているわけだ。
かつてマルクスが流行ったのは、貧困による抑圧に対するアンチの思想としてである。今回のマルクス流行は単なるアンチでない。貧困による抑圧は消滅して久しい。抑圧がない以上アンチの思想も不用なはずだ。また、かつてマルクスが流行った当時は、市場拡大の絶頂期であった。そこでは抑圧に対するアンチはあっても、市場拡大に対する疑念はなかった。
逆に現在生起しているのは、「市場こそ諸悪の根源ではないのか?」「市場をこのまま野放図にしていていいのか?」という疑念である。しかも、単なる疑問に留まらない。『資本論』の勉強が始めた人々が少なからずいるのは、市場の成立構造まで踏み込んで解明しようとしているからではないか。だから、難解かつ長大なマルクスの『資本論』を勉強し始めたのではないか。
現在のマルクスブームは、単なるアンチの思想ではない。市場の縮小と市場の問題性に気づいた人々が、単なるアンチを叫ぶだけではなく、市場の構造の解明を始めた。同時にこれは、長年敬遠されてきた理論的なものへの収束が始まった、その大きな転機を示すものではないだろうか。
(本郷猛)

List    投稿者 hongou | 2008-08-02 | Posted in 14.その他No Comments » 

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