2008年07月18日

日本支配の構造11 日本の金貸しと西欧の金貸し

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金銀座外国人雇入其他ニ関スル日本政府ト「オリエンタル・バンク」ノ契約書 画像はこちらから
 
「日本支配の構造」シリーズでは、これまで明治維新~戦前の頃までの政府要人、国際金融資本と国内資本などについて追求してきましたが、そろそろ中締めとして、まとめをしておきたいと思います。

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■三井家の金貸しの様子(「三井の初期多角化」より) 
 
三井家による紀州徳川家、幕府、薩摩藩、明治政府への貸付の様子を小林正彬氏の論文「三井の初期多角化」から拾ってみます。
「三井家は伊勢松坂が出身地であり,松坂を支配するのは,紀州徳川家である。(略)紀州家に対して巨額の御用金(貸付金)を納入し続けなければならないことが,経済的・政治的負担となってくる。
 (略)
紀州家とくに御用金の激増は,1769年10月時点で上納金額は金36 万4629 両,銀662 貫500 目で,利息年8%,返済15 か年賦で,回収できない分は不良資産として大元方に計上された。
 (略)
享保期,幕府は大坂・二条・大津の御蔵にあった米・大豆を売却するが,その代銀の江戸送金を1722(享保7)年から三井へ一手に任せた。それだけでなく,臨時御用とか急御用が増え,金銀為替送金を命ぜられている。
 (略)
幕府も崩壊寸前で,50万御用金を32万も減額して,18万両でも手に入れればよい。しかも,小栗と(三井の三野村)利左衛門の個人ルートで決定したとしか考えられない。この年(1867年)10月,大政奉還,あくまで戦闘を主張した小栗忠順(当時の幕府の勘定奉行)は翌年1868(慶応4)年知行地に帰ったところ,同年閏4月,勤皇軍に捕えられ斬殺される。
 (略)
鳥羽伏見の戦いの前夜に薩摩へ金1000 両を献納する三井組の最後の賭けが行なわれた。かくて,1868(慶応4)年2 月,新政府の会計局が設けられた時,三井・小野・島田三家が為替方三家として御用達を命ぜられるのである。
 (略)
翌68(慶応4)年1月17 日,三家は正式に会計事務局(金穀出納所改名)為替御用達となり,御為替方三井組が誕生する。三井は前年末,1000 両を献金,翌1月15日は三井・小野・島田共同で1 万両,2月13日に三家で3万両を拠出していることが,会計官調達金元帳に記されている。この金は「京両替店の地下穴蔵に“密建金”と名づけて秘蔵してあった秘密の積立金によってまかなわれたものであった」。大元方の資金が全く枯渇していたとき,秘密の積立金は確かにあったろうが,どのように,明治維新以降の三井が立直っていくかは,三野村利左衛門の腕だけでなく,諸研究のテーマでもある。
 (略)
大隈財政は,各開港場に貿易管轄の通商司を同年2 月設置,7月大蔵省が設けられるとその下に属した(商法司廃止)。その担い手として通商会社,金融を担当する為替会社が設けられた。総頭取に小野・島田とともに任ぜられた三井は1872年7月までに14 万5000 両を出資(三井身元金総額94万8500 両の15%)した。」
  
 
要するに時の施政者への金貸しを、徳川の時代から、薩摩、明治政府へと連綿と行なってきたのです。
話は少しそれますが、同じ「三井の多角化」に、三井物産の初代社長となる益田孝が、長州閥の政治家井上馨と出会って大蔵省入りを果たす件が興味深いです。
 
「益田は兜町に住んでいる井上に会いに行く。(略)(井上は益田に)「君は商売をすると云ふが,今のやうな政府では何事も駄目である。政府をもっとしっかりしたものにしなければ,商売をするにしても何をするにしても駄目だ,政府をしっかりしたものにするには,皆掛りでやらなければならぬ,君も是非政府へ入れ」と云ふ。
益田は「よく相談してお返事致します」と答え,
大阪へ行って五代に相談すると「君は幕府の人間であるが薩長の天下になったのだから何をするにしても不便だ,井上がさう云ふなら政府へ入って資格を作って来るのも面白い,吾々の方は自分が引受けてよくするから,政府へ入ることにしてはどうか」といわれ「政府へ入ることに決心した。
最初は大蔵省四等出仕と云ふことで,間もなく造幣権頭になって大阪へ行った」。造幣頭であった井上は,首長(director)と呼ばれてたウィリアム・キンダー(William Kinder)を抑える者がいないので,「井上さんの考では,益田は横浜で外国人を相手にして商売をして居ったのだから外国人の呼吸もわかって居り,又たオリエンタル・バンクのロベルトソンなぞもよく知って居るから,万事都合好く行くだらうと云ふので,私を造幣権頭にしやうとしたのであらう」と回想している。」
 
 
又更に三井物産の設立の件では、
「井上馨が(大蔵省を)辞職して設立したのが先収会社であり,これが三井物産の主流となる。同年10 月,辞職した益田孝とともに,岡田平蔵が中心となって岡田組という新会社を設立する。(略)岡田組の資本金15 万円(岡田8万,井上3 万,益田と関係あるアメリカのエドワード・フィッシャー商会4 万),そして横浜担当に馬越恭平(益田部下,のち物産横浜支店支配人)を据え,オリエンタル・バンクから30 万円の借越契約を結びスタートした。その直後の翌年1 月,岡田急死,井上は岡田へ出資金返却,鉱山も岡田家へ譲渡,解散した。
1874(明治7)年3 月,改めて先収会社を設立し,岡田組総裁であった井上が社長,益田が副社長,それに長州出身の京都勧業掛大属木村正幹,長州毛利家勘定方吉富簡一,長州の富商藤田伝三郎が加わった。藤田はすぐ独立するが,木村を井上が入れたのは,「益田が勝手な事をしてはいけないと云ふので,私の目付に入れたのである」。」
益田孝はオリエンタル・バンク(英国東洋銀行)に強いコネクションを持っていたようです。
また、明治政府、三井とオリエンタル・バンクには、以下のような指摘もあります。
 
副島隆彦「学門道場」日本史掲示板より引用
最近読んだ、『明治政府と英国東洋銀行(オリエンタル・バンク)』(中公新書:立脇和夫著)に、日本銀行と三井・ロスチャイルドに関係するであろう記述がありましたので、紹介します。本の第7章である、三井組への金融支援、を要約します。
(要約開始)
1864年(明治元年)に横浜支店を開設したオリエンタル・バンクと老舗三井組との取り引きが、何時頃から始まったのかは明らかではないが、両者の関係が緊密化するのは、大坂造幣寮の建設後、新貨幣への改鋳のために造幣寮へ引き渡される金銀貨幣、地金の取扱人として、三井組が「御用為替座」、オリエンタル・バンクが「日本政府の外国為替方」に指名されてからのことと思われる。
こうして、両者は1871年(明治4年)以降、共に日本政府の造幣事業と深くかかわりをもつに至ったのである。
1874年(明治7年)から75年にかけて、三井組はオリエンタル・バンクから100万ドルにのぼる借入れを行なっている。ちなみに、明治7年11月にオリエンタル・バンクへ提出された抵当差し入れは、日本米10万余石(63万2400円)、日本産生糸・茶・各種輸入品(99万2600円)、及び第一国立銀行券(100万円)からなる合計262万5000円である。
それではオリエンタル・バンク横浜支店からの累計100万ドルにも及ぶ借入金を、三井組はどのようにして返済したのであろうか。その内実は、三井組横浜支店の「田村報告」によって、ある程度明らかになる。
オリエンタル・バンクの返済要求に対して、三野村(三井組本店代表)は交渉を重ね、いくつかの条件と引き換えに、返済猶予をしばらくの間、認めさせることに成功した。
条件1 台湾事件に対する清国の賠償金50万両のうち、44万5600両を日本政府が三井組経由でオリエンタル・バンクに預け入れること。
条件2 日本政府が三井組経由で金貨30万円をオリエンタル・バンクに預け入れること。
条件3 利息を9%から12%に引き上げること。
このように、三井組は政府の援助によって、危機を乗り切ったのである。
 オリエンタルバンクの代理人には、グラバーの名も挙がっており、その影響力が伺えます。三井はこのオリエンタル銀行の融資によって破産を免れたという過去を持ちます。
 明治政府が初めて国債を発行したのは、1870年(明治3年)4月でした。1869年(明治2年)に明治政府は(略)ホレシオ・ネルソン・レイ(Horation Nelson Lay)という人物と、関税収入と鉄道営業収益を担保に金利12%で100万ポンドを借り入れる契約をします。明治政府から権限を付与されたレイによって、パリのエマイル・エルランジェ商会が引受け、シュローダー商会が募集取り扱いを行う公募債として調達されることになりました。(略)明治政府は、公債払込金の受け取り等の代理店として、先述したオリエンタルバンクを指定しました。
 
 ロンドン証券取引所で公債募集を行ったシュローダー商会ですが、(略)1923年米国ニューヨークのウォール街に進出し、1936年にニューヨークのJ・ヘンリー・シュローダー銀行は、ロックフェラー財閥と資本を提携し、シュローダー・ロックフェラー商会という投資銀行を設立します。
 
 
■まとめ
 
 これまで日本の金貸しと言う視点で三井家、三井物産を取り上げてきましたが、その過程で見えてきたのは、
①三井家は、徳川や明治政府に対する金貸しで、西欧の金貸しが国家の戦費国債の引き受けをしていたことと良く似ている。
②明治政府の薩長閥は、イギリス・ロスチャイルドとの結びつきが強い。
③三井家に近づいた明治政府の井上馨、益田孝は、三井物産を創設し、政府と一体となって事業を展開し、台湾、朝鮮、中国へ進出する一方、西欧金貸しからの融資も受けている。
③一方三井物産は、東アジアの石炭市場、阿片市場ではロスチャイルドと競合している。
④三井物産が実質支配する南満州鉄道の融資では、当時既に勢力が交代していた見られるロックフェラーと交渉している。
です。
 
当時の三井家(合名)、三井物産、三井銀行をどう見るか?と言うことが一つの課題でしたが、西欧の金貸しとの違いは、国を持たないユダヤ人と日本人との違い=日本国とのしがらみが強く時には国益とも言える行動もしていることです。しかし、そこはやはり金貸し(一方商人でもあるが)、国の利益だけでなく当然自らの利益にも忠実であったろうと思います。
そして、国益と私益のどちらがより基底的かと言えば、当時(明治~戦前)の日本政府と三井にとって国益と私益は表裏一体でどちらが先とか言っていられるような状況ではなかっただろうとも思います。
結局、西欧の金貸しが、国が滅びても自らは生き残る自由な存在であるのに対して、日本人であることから逃れられない三井は、やはり日本国とともに生きるしかないのでしょう。その本質は、国益と私益とが表裏一体である明治政府、三井と、私益第一である西欧金貸しとの違いということだろうと思います。
最後に、三井に関係した人々ですが、井上馨は伊藤博文とともにイギリス密航を果たした長州の一人で、当然ロスチャイルド派と見るべきでしょうし、井上に重用された益田も同じでしょう。しかし、益田を一時三井の要職から追い出した中上川は、彼らとは一線を画す存在だったかもしれません。中上川は47歳で病死し、その結果益田が三井のトップに返り咲くこととなります。
又益田の次の三井総帥團琢磨は、当時既にイギリスに取って代わろうとしていたアメリカ・ロックフェラーと親交を深めます。しかし、1932年に当時の右翼団体・血盟団に射殺され、池田成彬が三井合名の筆頭理事になります。1936年定年で三井を退職した池田は、その後日銀総裁、大蔵大臣となって、敗戦を迎えます。
阿片取引を東京裁判で弾劾された三井物産を擁する三井財閥は、池田の決断で財閥解体となります。池田は三井家に相当恨まれたと言いますが、今はGHQの言う通りにすべし、と時勢を読む判断をしています。池田成彬は東京裁判でも一時指名されたA級戦犯を解除されて生き延びています。池田はかつて、世界の基軸通貨が英ポンドから米ドルへ移行しようとしていた頃三井銀行筆頭常務でした。1931年、当時英国ポンド立て証券に多額の投資を行なっていた三井銀行は、その損失を埋めるべく横浜正金銀行を通じてドル買いを行い利益を得ます。三菱、住友銀行もこれに追随したと世論に叩かれますが、ドル買いの最大手はロックフェラーのナショナルシティ銀行でした。
日本の国益と私益が表裏一体の日本の金貸しも、世界の隆盛(ロスチャイルドからロックフェラーへ)の影響を大いに受けていたようです。

List    投稿者 saito | 2008-07-18 | Posted in 04.日本の政治構造12 Comments » 

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コメント12件

 taku | 2008.10.25 14:00

スティグリッツ教授によると、アルゼンチンのような国で政府紙幣を発行すると、通貨の価値が暴落=とてつもないインフレが起きるが、日本のような先進国では起きない。事実。日本はほぼゼロ金利政策を続けているがインフレの兆候がまるでない、とのことです。

 ぶぶ | 2008.10.25 21:08

円は明治時代、地方ごとに割り当てられた国営銀行が発行していました。
政府通貨ったって特別なことじゃないような気がするんですが。

 Leaf | 2008.10.25 21:17

>現に市場にお金が猛烈にだぶついているのに日本ではインフレにならないではないか?
今市場にあふれている金はまさに英米式金融主導経済によって生み出された金を増やすための金-信用が低いにもかかわらず高いと見せかけた(見誤った)商品を担保に、レバレッジをかけて生み出されたまさに幻の金-であるが故に、実体経済の商品やサービスの対価として使われる事はほとんどなかったのです。
実体経済に行き渡るであろう政府発行紙幣と一緒にしてはいけません。
>日本のような先進国では
逆に今の日本で債務無しの紙幣を政府が発行できるなんて事になったら、政治家は票田へばら撒き、官僚は湯水のごとく使いどぶに捨てあっという間にスーパーインフレ。じゃないでしょうか。

 世直し人 | 2009.01.28 19:21

ハイパーインフレをすぐに提唱する人はまったくもって知識がたりません。物不足が続いている状態での紙幣発行と、物がタブついてうれない発行は意味がちがいます。
現在、金あまりといわれていますが、人用な所にお金がないので金はまわってきません。結果物がうれない、企業が利益をえられないので、リストラするという悪循環になってます。ハイパーインフレなんてどうやってなるのか説明してほしいところです。インフレとは紙幣に価値がなくなり物が高等することです。現在は貨幣価値が高すぎてものが安すぎるデフレなんです。
もっと世の中勉強して発言んしましょうね、

 世直し人 | 2009.01.28 19:21

ハイパーインフレをすぐに提唱する人はまったくもって知識がたりません。物不足が続いている状態での紙幣発行と、物がタブついてうれない発行は意味がちがいます。
現在、金あまりといわれていますが、人用な所にお金がないので金はまわってきません。結果物がうれない、企業が利益をえられないので、リストラするという悪循環になってます。ハイパーインフレなんてどうやってなるのか説明してほしいところです。インフレとは紙幣に価値がなくなり物が高等することです。現在は貨幣価値が高すぎてものが安すぎるデフレなんです。
もっと世の中勉強して発言んしましょうね、

 社員と共に歩む日本型経営 | 2009.04.02 13:37

グローバリゼーション再考

今日本はグローバリゼーションに関し再考する時期に来ていると考える。なぜなら、グローバリゼーションを推進した結果として、日本に限らずどの先進国の国民も決して…

 匿名 | 2009.04.10 20:30

ハイパーインフレにはならない。こんな打ち出の小槌があるのになぜ使わないのか?テレビでも一切この類の議論は出てこない。なぜだ?

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