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2008年04月28日

金貸しがつくった三権分立

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民主国家の基本概念である三権分立は、1748年に出版されたモンテスキューの「法の精神」から生まれた概念です。ただし、この三権分立を実現したのは【金貸し】であり、現代の金貸し支配(資本主義社会)のきっかけとなった出来事です。

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■三権分立とは?


三権分立とは、国家権力を分散させ、各機関に他の機関の越権を抑える権限を与え、相互に監視しあうことにより抑制均衡を図り、権力の集中・濫用を防止し、国民の政治的自由を保障させようとするシステム。ウィキペディア:権力分立


その構成は大きく以下の3つです。
①立法権(国会)
②行政権(内閣)
③司法権(裁判所)


■三権分立を成立させる力とは?


上記の三権分立を成立させ得るために、重要なものを忘れてはなりません。
言うなれば、「国家統制の根底にあるものは何か?」という問いになります。


・・・・その答えは【武力】です。


これまでの歴史を振り返っても、国家の絶対的な力とは武力であり、現代でもそれは同じです。ただし、武力だけで国を統治しようとすると、権力の転覆を狙った内戦や侵略が頻繁に起こるため、国を上手く統治していくことができません。


そこで、国民の行動規範となる明文化された体系(観念)が必要であり、それが【憲法・法律】です。三権もこの【憲法・法律】の下に動かされますが、それを遵守させるための抑止力として【武力】が控えていることを理解しておく必要があります。(普通の人の抑止力はせいぜい警察止まりだとは思いますが・・・(笑)。


■三権分立の成立過程


モンテスキュー以前の時代にも、三権はありましたが、分立はしておらず、国王などの権力者(武力支配者)が全ての実権を握っていました。
国王は、武力(軍隊)を後ろ盾に、宗教を用いた観念操作によって国家を統治しようとしますが、王権神授説などにあるように、権力はあくまで国王とそれに忠誠を誓う貴族などの一部の特権階級が握っており、権力の乱用によって国家秩序が乱れていきます。


こうした体制を解体したのが、有名な市民革命(イギリス革命、フランス革命)であり、その革命の中心に居たのが、ブルジョワジーなる大商人達です。
この頃の大商人達は、大航海時代から蓄えた財力によって一定の力を持っていましたが、封建社会における固定的な階級制度においては、あくまで平民(一部は売官制などにより貴族となる)であり、国家による重税などによって弾圧され、議会での発言権も無い状況でした。


そして、革命後、封建社会の崩壊によって、主権は国民へと移され、三権を分立することで国を統治していくことになります。ここで興味深いのは、フランス革命では、主権はすぐに全て国民に移されたわけではないことです。
何故なら、大商人達は、主権が国民に移されると、次に狙われるのが力を持っている大商人達になると考えたからです。そのため、立憲君主制という曖昧な選択肢を取る事で、国家を利用しようとしました。


その後、絶対王政が解かれたことで、本格的な資本主義社会へと移っていきます。
大商人達は、豊富な資金や開拓した販路・航路を元にこれまで以上に財を蓄え、国家に金を貸し、
一気に第一権力者と成っていきます。


つまり、三権分立の成立は、国家(国王)から大商人達が権力を奪い、金貸し支配(資本主義社会)を確立した大きな転換期でもあったのです。

コメント

おもしろいですね。
確か、エドマンド・バークの「フランス革命の省察」には、フランス革命は知識人と金融家の陰謀だったとはっきり書いてありました。いまでもシンクタンクは金融家のために存在するわけで、昔も今も同じってことですね。

  • アルルの男・ヒロシ 2008年05月03日 13:59

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