2008年03月07日
批判するだけでは許されない、そんな時代の始まり
若者の「テレビ嫌い」が増加しているらしい。いよいよ反マスコミ意識の顕在化か?
以下は、3月5日の読売新聞の文化欄「メディア~上から目線 テレビに反感」(稲増龍夫法政大学教授)からの引用。
この4年間を振り返ると、テレビをめぐる状況も大きく変わってきた。私が特にこだわっている視聴率について言えば、高視聴率番組の激減が特徴である。たとえば、この1月から民放で始まった夜の連続ドラマ14本のうち、現時点で毎回10%台を維持しているのは、前回紹介した「斉藤さん」(日本テレビ系)を含め、わずか2本である。かつてなら、10%を切ったら打ち切りと言われたのが、今では10%以下は当たり前である。実際、一日単位の視聴率ランキングでも、1位が15%以下というのもざらで、世帯視聴率がさほど違わない約20年前には、30%を超える番組が一日に確実に数本あったのとは隔世の感がある。
普段、大学生に接していて感じる質的変化は、「テレビ嫌い」の増加である。(中略)「やらせ」問題や「タレントのマンネリ化」などが影響しているが、何より、若年層が感じているいらだちは「上から目線」への反発である。
これは主に、報道・情報番組などの「批判的物言い」に対してであり、それがテレビ全体への不信感を生んでいるわけだが、もちろん、報道に携わる人間として批判意識は重要な資質のはずだ。しかし、若い視聴者からすれば、なぜテレビは、そんな偉そうに批判できる資格があるのかという反発が強いのである。
今の若者たちからすれば、政治が腐敗し、世の中が乱れているのは言われるまでもないことであり、今さらたいして関心もない。にもかかわらず、テレビで批判を述べる解説者やコメンテーターの態度に、「正義の味方づらして上から目線でものを言うあなた方は何様なの」という思いを抱くわけである。
かつては、そうした辛口の批判は視聴者=世論の意見を代弁してくれる心強い味方であったのが、今では、ネットで誰でも好き勝手に論評できる。だから、テレビだけにカッコいい思いをさせておくことへの反発が生じるわけである。
そして、こうした文脈での「テレビ嫌い」の増加は、若者にとってテレビが身近なメディアだからこそであり、実は、新聞や雑誌なども含めた既存のマスメディアに対する不信感の現れでもある。その意味で、かつて言われた「活字」対「テレビ」というメディア対立の構造は、今や確実に「マスメディア」対「ネット」という構図に変わってきているのである。
「テレビ嫌い」の増加、そして、その理由が「正義の味方づらして上からモノを言うテレビ、さらにはマスコミ全体」に対する反感であるというのは事実だろう。しかし、現在の若者が、政治的・社会的な関心がないとか、ネットで論評できるからテレビにだけイイカッコさせておくことへの反発だというのは、見当違いではないか。
稲増氏は「マスコミの批判意識は重要な資質である」とアプリオリに肯定しているが、批判だけしかしないスタンスそのものに対して、「おかしい」とはっきりと断が下されているのだと捉えるべきであろう。
事実、私権時代の全ての既成観念(古代宗教と近代思想)は、この異常な現実否定意識に基づいて作られている。その証拠に、これまで現実を否定する意識は、常に暗黙の内に正(義)として意識され、現実を否定する意識そのものを疑うような意識は、全く登場してこなかった。これは、現実否定→倒錯思考が、私権時代を貫く思考のパラダイムである事を示している。『るいネット』「観念パラダイムの逆転2 現実否定の倒錯思考」
現実否定の代表がマスコミである。マスコミが批判することは常に正義として意識されてきた。ところが、マスコミが批判しかしないこと、そのスタンスそのものが否定され始めたのである。これは史上初めての出来事である。
このことは、テレビドラマの視聴率が低下していることと無縁ではない。私権原理から共認原理へ転換したことによって、現実の共認充足の可能性が開かれた。その結果、充足の対象がTV映像などの代償物(架空の世界)から現実の対象へと180度転換したのだ。代償物から実物へと人々の欠乏が大転換し、同化対象が代償物から実物へ転換したこと。これがTVや映像離れの根本原因である。
そして、人々は現実の仲間から、勉強や仕事などの現実の課題へ向かう。今やそれを超えて「現実の社会をどうする?⇒どうなっている?」という方向へ向かい始めた。そこでは批判するだけでは済まされない。そのことに人々は気づいたのだ。つまり、人々の意識は現実否定から実現へと大転換しつつある。その現れが批判者としてのマスコミに対する若者の反発なのである。
批判者としてのマスコミが批判される。これは史上初めての出来事であり、今後、批判するしか能がないマスコミ叩きが顕在化する、画期的な時代へ突入したことを示しているのではないか。
(本郷猛)
- by hongou at 20:46



コメント
テレビはこのまま無くなって構わないと思います。
大新聞も同じ。
そうは言っても、テレビの影響力は巨大です。視聴率10%で1千万人が見ています。ネットでは政治系のものは、良く見られているもので、1日何千のオーダーでしょう。
民主主義の成立の要件の一つに、メディアの健全性があると思いますが、日本では、テレビは何処からも批判されない、特権を持っています。
G7の国で、テレビと新聞が、同一資本と言うのはありません。正力氏とテレビの設立との関係を知れば、難しいとは思いますが、テレビと新聞との資本の分離を、真剣に考えないと、日本の政治は、このまま溶解してしまう事になりかねません。
ネットの将来には期待しているのですが、其れもテレビが、意図して足を引っ張らなければ、と言う条件つきです。
いいよ、あんなもん、無くなって。
俺らを騙してばっかりじゃんか。
テレビはさ、地元のローカルケーブルテレビがあれば良いよ。
一番視聴率が高いのは地元天気予報な。
新聞もさ、地元のローカル紙があれば十分。
通信社と特約しているから、国際関係の記事も全国紙と遜色ない。
大手新聞社と大手テレビ局の存在意義なんて、もう無いよ。
つぶれて良いって。
それから、おんなじことさ、何度も載せるなよ。
ぷーさん、八目山人さん、コメントありがとうございます。
八目山人さんのコメントで重複していたものを削除させていただきました。ご了承ください。
さて、八目山人さんのおっしゃる通り、批判するばかりで、どこからも批判されることがないのがマスコミでした。それは、資本関係等だけでなく、マスコミの言うことは正しいと大衆が洗脳されていたことが大きいと思います。
そのマスコミが若者を中心に叩かれ始めた。ここが注目点です。つまり、マスコミによる洗脳が溶解し始めたのではないでしょうか。
>視聴率10%で1千万人が見ています。
つけてはいるが、見てはいないのでは??
>つけてはいるが、見てはいないのでは??
数年前からテレビは暇つぶしの道具にすぎませんでした。だから世帯視聴率が同じでも、高視聴率番組がなくなるのです。そして現在はその段階を既に超えており、テレビ批判の声が高まる。そんな時代なのでしょう。
マスコミの言うことは正しいことに洗脳された一人です。
なんか無意識に、マスコミの意見が正しいと思ってしまうのも、怖いと思いました。
TVに出ている、コメンテーター見ていると、なんかしゃっべているだけで、「だから、どうしたの」って感じに終わってしまい、
無駄の時間で終わりになります。結局は、自分も見ているだけ側と発信している側だけで、現実の問題に解決していないどころか、人事に聞こえます。そのことが狙いで、見ていた自分は馬鹿だと思いました。
ここにきて本当に楽になりました。
見えない事実を知るこも大事だと思いました。
あと、アンタチャップルというドラマで、記者の視点で描かれているけど、本当に図星って感じがします。