2008年03月04日
『アメリカの共和党と民主党』5・・・戦争をすることでしか、平等も市場拡大も不可能な国
みなさん、こんにちは~
アメリカ大統領選が盛り上がってる
みたいですねぇ
でも、テレビではなかなかアメリカ社会の実態って分からない。。
学校の授業
でも、何年に何が起こりましたってだけで、何でそんなことになったの
ってところはほとんど教えてくれません
そこで始まった、『アメリカの共和党と民主党』シリーズ
今日は、第一次世界大戦以降
から第二次世界大戦前
までの流れを追ってみたいと思います
(これまでの流れを知りたい方は、この年表が便利です
→『アメリカの共和党と民主党1~4』年表)
まずは、基本的な流れを簡単に説明しておきます。
歴史・経済に詳しくて大体の流れが分かる方は、続きを読む以降をどうぞ
第一次世界大戦後の経済繁栄(1920~1924)
第一次世界大戦で戦場にならなかった米は、大戦で疲弊した
英・欧に代わって、世界経済をリードするようになります
住宅建設ブーム、自動車やラジオなどの新技術による製品需要の高まり、娯楽やマスメディアの発展による大衆文化の形成などを背景に、アメリカ経済は大
躍
進
この頃のアメリカは、「
黄金時代
」とか「
狂乱の1920年代
」とか言われています
こういう時、現政党の支持率が高いのは当たり前
1920年代の繁栄と密接に結びついた共和党、南北戦争以来の共和党を正当と認める特別な雰囲気、このような雰囲気の中で、現政党政治の多数党だった共和党は、無敵
でした
過剰生産と過剰投機→バブル(1924~1929)
でも実は、繁栄した1920年代のどの時期をとっても、常に7~12%もの人々が失業
していたんです
農産業
も、第一次大戦中は農作物価格は天文学的数字にまで跳ね上った
のですが、戦争が終わって1920年になると大暴落
して、著しい不振に陥っってしまいます
さらに、機械化
が進んで、供給増加
→価格下落
してしまった上に、収入よりも多くの貸付利子を支払わなくてはいけなくなってしまいました
なのに、1920年代の共和党指導者たちは、農業問題をぞんざいにしか扱ってくれません
共和党は、一方(都会の企業経営者
)のみを考える政府になってしまいました
共和党の人たちは、政府が企業と融合関係を保つことにより国家全体に利益をもたらしていると信じていたからです。
自由主義経済国アメリカの黄金時代は、実は、自由競争の絶頂期などではなく、大企業の利益最優先政策を取る政府に支えられながら慎重に追求されたピラミッド型社会の絶頂期だったんです
農産業
だけでなく、石炭産業
や織物産業
も、低迷していました
また、大戦の荒廃から回復しきれない各国は購買力が追いつかず、社会主義化したソ連は世界市場から離脱。
アメリカは徐々に過剰生産に陥っていきます。
住宅市場
は1926年、自動車製造業
の伸びは1925年以後ペースダウンし、鉄鋼・ゴム・ガラスなどの他産業を縮小させていきました。
※この頃、中国への経済的進出をもくろむアメリカは、満州鉄道を能率的に経営して利益を上げる日本の成功を見て焦燥感を抱いて、対日感情を悪化
させてゆきます。
自動車産業に代わる産業も登場しないまま、投機熱だけがあおられてゆきます。
欧英から米への国際的な資金移動は加速
し、英が1925年に金本位制復帰で復活を図ろうとするもその流れを止めることはできません。
さらに、それを抑制しようと米連銀が金利を引下げたことにより、行き場を失った余剰資金が株式市場へ流れていきます。
NY株式市場は1924年頃から長期上昇トレンドに入り、ダウ平均株価は5年間で5倍、1929年9月には最高価格を記録しました。
株価大暴落から世界大恐慌へ(1929~1933)
1929年10月24日、GM株が80セント下落したのを皮切りに、ついに29日大暴落
します。
土地を失う農民や失業する労働者が続出し、数年間で数千の銀行が閉鎖され、アメリカ人の多くが預金を失いました。
米の援助で復興を図っていたドイツをはじめ、米経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻していきます。さらに、現大統領フーバー(共和党)が1931年に貿易制限法を制定し、アメリカへの輸入関税を平均50%引き上げたことにより、米欧貿易は急速に縮小。一次産品・資源輸出国も甚大な被害を被り、世界恐慌はますます進行しました
1932年には、製造業生産高は1929年の54%に、海外貿易総額は1929年の30%に、資本支出は1929年の6%に、農業総収益は1929年の42%に激減。
フーバー(共和党)は、失業者への福祉手当を、地方政府や個人の慈善行為に頼ったのですが、不況が悪化すればするほど、都市は福祉手当を削ってゆくのでした。
ニューディール政策(1933~1945)
恐慌に対して何も出来ない(しない)共和党への反感
が高まる中、経済復興のためのニューディール政策を公約に掲げたルーズベルト(民主党)が、大統領に当選
します。
ルーズベルトは、1933年~1935年の間に、「連邦緊急救済法」「農業調整法」「社会保障法」「全国産業復興法」etc多数の法律を制定。農産物価格の上昇や助成金等の農業支援、失業保険、老人や要保護児童等への生活保護etcの援助を行いました。
また、1933年に連邦政府は失業救済向けとして5億ドルの資金を州政府に提供、1935年には国内需要を拡大するため50億ドルの救済予算を立てて、実際に、「テネシー川流域開発公社」によるダム建設や、「民間資源保存局」による植林などの公共事業を行っていきます。
以上が、第一次世界大戦→経済繁栄→大恐慌→ニューディール政策までの、基本的な流れです
ニューディール政策は、教科書でも習った
記憶がありますよね。
こんなにたくさんの政策を実施したと聞くと、これで景気も良くなったんだろうなぁ
と思ってしまいませんか?
でもでも、実は、教科書には載っていない、ニューディール政策の本当の姿があったんです
何?って思った方、是非一緒に勉強しませんか
続きを読む前に、応援してくれると嬉しいです

アメリカ大統領選が盛り上がってる
でも、テレビではなかなかアメリカ社会の実態って分からない。。
学校の授業
でも、何年に何が起こりましたってだけで、何でそんなことになったの
ってところはほとんど教えてくれません
そこで始まった、『アメリカの共和党と民主党』シリーズ
今日は、第一次世界大戦以降
から第二次世界大戦前
までの流れを追ってみたいと思います
(これまでの流れを知りたい方は、この年表が便利です
| 年代 | 国際情勢 | アメリカ情勢 | 共和党/民主党 |
| ~1917 | 第一次世界大戦締結 | ≪参照≫ ⇒ 『アメリカの共和党と民主党4』世界一の経済大国へ | |
|
1920 1921 1927 1929 1931 1932 1933 1941 1944 1945 |
国際連盟発足(米非加盟) ワシントン軍縮会議 世界大恐慌 第二次世界大戦勃発 ヒトラー内閣成立 大西洋憲章 ブレトンウッズ会議 第二次世界大戦終結 |
経済繁栄「狂乱の1920年代」 ・過剰生産で実質経済は伸び悩む一方、過剰投機により株価急騰(ダウ平均株価は5年で5倍に)。 株価大暴落 ・1929年から1932年の間に、名目GNP44%▼、企業収益50%▼。失業率25%。 ・1937年には失業率14.3%まで回復するが、財政支出を削減した結果、翌年再び19%に悪化。 第二次世界大戦参戦 ・1943年連邦政府赤字はGNPの30%、失業率1.2%まで低下。 |
排日移民法(J.クーリッジ) 日本人移民の受入を全面的に禁止。 貿易制限法(C.フーバー) 輸入関税を平均50%引き上げ。 ニューディール政策(F.ルーズベルト) 1933年~1935年の間に、経済復興を重視する多数の法律を制定。1933年に5億ドル、1935年に50億ドルの救済資金を援助。 IMF設立(D.ホワイト財務官) 金1オンス35ドルで固定。 |
まずは、基本的な流れを簡単に説明しておきます。
歴史・経済に詳しくて大体の流れが分かる方は、続きを読む以降をどうぞ
第一次世界大戦後の経済繁栄(1920~1924)
第一次世界大戦で戦場にならなかった米は、大戦で疲弊した
英・欧に代わって、世界経済をリードするようになります住宅建設ブーム、自動車やラジオなどの新技術による製品需要の高まり、娯楽やマスメディアの発展による大衆文化の形成などを背景に、アメリカ経済は大
躍
進
この頃のアメリカは、「
黄金時代
」とか「
狂乱の1920年代
」とか言われていますこういう時、現政党の支持率が高いのは当たり前
1920年代の繁栄と密接に結びついた共和党、南北戦争以来の共和党を正当と認める特別な雰囲気、このような雰囲気の中で、現政党政治の多数党だった共和党は、無敵
でした過剰生産と過剰投機→バブル(1924~1929)
でも実は、繁栄した1920年代のどの時期をとっても、常に7~12%もの人々が失業
していたんです 農産業
も、第一次大戦中は農作物価格は天文学的数字にまで跳ね上った
のですが、戦争が終わって1920年になると大暴落
して、著しい不振に陥っってしまいます
さらに、機械化
が進んで、供給増加
→価格下落
してしまった上に、収入よりも多くの貸付利子を支払わなくてはいけなくなってしまいました
なのに、1920年代の共和党指導者たちは、農業問題をぞんざいにしか扱ってくれません
共和党は、一方(都会の企業経営者
)のみを考える政府になってしまいました
共和党の人たちは、政府が企業と融合関係を保つことにより国家全体に利益をもたらしていると信じていたからです。
自由主義経済国アメリカの黄金時代は、実は、自由競争の絶頂期などではなく、大企業の利益最優先政策を取る政府に支えられながら慎重に追求されたピラミッド型社会の絶頂期だったんです
農産業
だけでなく、石炭産業
や織物産業
も、低迷していました
また、大戦の荒廃から回復しきれない各国は購買力が追いつかず、社会主義化したソ連は世界市場から離脱。
アメリカは徐々に過剰生産に陥っていきます。
住宅市場
は1926年、自動車製造業
の伸びは1925年以後ペースダウンし、鉄鋼・ゴム・ガラスなどの他産業を縮小させていきました。※この頃、中国への経済的進出をもくろむアメリカは、満州鉄道を能率的に経営して利益を上げる日本の成功を見て焦燥感を抱いて、対日感情を悪化
させてゆきます。自動車産業に代わる産業も登場しないまま、投機熱だけがあおられてゆきます。
欧英から米への国際的な資金移動は加速
し、英が1925年に金本位制復帰で復活を図ろうとするもその流れを止めることはできません。さらに、それを抑制しようと米連銀が金利を引下げたことにより、行き場を失った余剰資金が株式市場へ流れていきます。
NY株式市場は1924年頃から長期上昇トレンドに入り、ダウ平均株価は5年間で5倍、1929年9月には最高価格を記録しました。
株価大暴落から世界大恐慌へ(1929~1933)
1929年10月24日、GM株が80セント下落したのを皮切りに、ついに29日大暴落
します。土地を失う農民や失業する労働者が続出し、数年間で数千の銀行が閉鎖され、アメリカ人の多くが預金を失いました。
米の援助で復興を図っていたドイツをはじめ、米経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻していきます。さらに、現大統領フーバー(共和党)が1931年に貿易制限法を制定し、アメリカへの輸入関税を平均50%引き上げたことにより、米欧貿易は急速に縮小。一次産品・資源輸出国も甚大な被害を被り、世界恐慌はますます進行しました
1932年には、製造業生産高は1929年の54%に、海外貿易総額は1929年の30%に、資本支出は1929年の6%に、農業総収益は1929年の42%に激減。
フーバー(共和党)は、失業者への福祉手当を、地方政府や個人の慈善行為に頼ったのですが、不況が悪化すればするほど、都市は福祉手当を削ってゆくのでした。
ニューディール政策(1933~1945)
恐慌に対して何も出来ない(しない)共和党への反感
します。ルーズベルトは、1933年~1935年の間に、「連邦緊急救済法」「農業調整法」「社会保障法」「全国産業復興法」etc多数の法律を制定。農産物価格の上昇や助成金等の農業支援、失業保険、老人や要保護児童等への生活保護etcの援助を行いました。
また、1933年に連邦政府は失業救済向けとして5億ドルの資金を州政府に提供、1935年には国内需要を拡大するため50億ドルの救済予算を立てて、実際に、「テネシー川流域開発公社」によるダム建設や、「民間資源保存局」による植林などの公共事業を行っていきます。
以上が、第一次世界大戦→経済繁栄→大恐慌→ニューディール政策までの、基本的な流れです
ニューディール政策は、教科書でも習った
記憶がありますよね。こんなにたくさんの政策を実施したと聞くと、これで景気も良くなったんだろうなぁ
でもでも、実は、教科書には載っていない、ニューディール政策の本当の姿があったんです
何?って思った方、是非一緒に勉強しませんか
続きを読む前に、応援してくれると嬉しいです
ニューディール政策は、本当に効果があったの?
ニューディール政策では、富の再分配が行われたのですが、富裕階級が失った収入部分は、貧困階級ではなく、中産階級あるいは上層中産階級のポケットに入っただけでした。
また、女性や黒人は、様々な社会保障の適用範囲からは除外されていました。
例えば、南部の黒人農民は、ニューディールのひとつの柱である農業調整法(AAA)の圏外におかれていました。同様に、黒人労働者の大群は全国産業復興法(NIRA)にもとづく行政措置の圏外におかれました。また、社会保障法は農民と家事労働者を対象からはずすことによって、アフリカ系アメリカ人労働者の65%を排除しました。
白人優遇の社会保障制度
では需要の回復には繋がらず、失業率も、1937年には14.3%まで回復するものの、財政支出を削減した翌年再び19%に悪化。結局、失業率が1.2%まで下がるのは、アメリカが太平洋戦争に参戦
してからでした。
※この頃から、黒人票の流れは歴史的な転機にさしかかります。
ニューディール政策でわずかな恩恵を受けた一部の黒人は、南北戦争後の再建期以来支持してきた共和党にかわって民主党に投じるようになりました。34年の中間選挙ではなんと、黒人票の大半がはじめて民主党候補を支持しました。
とはいっても、黒人の参政権は合衆国憲法で保証されているにもかかわらず、文盲テストでほとんどの黒人がはじかれ、実質的には黒人の中でも超エリートしか投票できない状態でした。1930年には、全黒人の4分の3は南部に住んでおり、彼らは投票を許されず陪審員にもなれませんでした。
アメリカ南部の半数以上の黒人が投票権を得たのは、1970年に文盲テストが廃止された翌年の1971年になってからのことです。
何でニューディール政策は上手くいかなかったの?アメリカって一体どんな国?
アメリカはもともと、移民の革命によって成立した国家。
(参照⇒『アメリカの共和党と民主党』1・・・アメリカ独立戦争が起きたのはなんで?)
ヨーロッパ特権の抑圧から逃避し、私権(地位や財etc)を求めて移住してきた彼らは、実は自らの私権に対する執着が異常に強いんです。
また、血縁や地縁などの共同体的基盤をもたない彼らは、相互に警戒心を強く働かせています。
このような『排他意識』が、今でもなお根強く残り続けるアメリカでの人種差別や階級差別を生み出しています。
恐慌期でさえ、有権者である白人と一部の黒人中産階級は、自分たち以外の人種や階級を救済する制度には批判的でした。恐慌当初はさすがにおとなしくしていましたが、少し落ち着くと、課税に対する批判、規制が多すぎることに対する批判、赤字支出に対する批判、全体主義への危惧など、ニューディール政策に対する圧力が高まって、結局、国家としての市場建て直しは実現できませんでした。
また、二度の大戦と、その間の黄金時代→大恐慌という目まぐるしい経済状況の中で、アメリカ産業の盛衰は、軍需と常に一体であることも明白となりました。
※皮肉なことに、黒人が白人社会から求められたのは、第二次世界大戦で兵士・労働力が足りなくなってからでした。民間労働力の不足から、それまで排除されてきた黒人が採用され、戦争末期には“白人と平等に”戦闘に参加する権利を獲得したそうです。(「死ぬなら平等」ってこと
)
結局、略奪(戦争)を続けることでしか市場を維持・拡大できないアメリカは、この後、軍産複合
を主軸とした経済戦略を突き進んでゆきます。
この辺り、次回の『アメリカの共和党と民主党6』で詳しくお伝えしていきますのでお楽しみに~
参考サイト
『永井俊哉ドットコム』
『恐慌から回復への政策』
『エンカルタ百科事典』
『世界大恐慌の原因』
『世界各地域史・戦後アメリカ合衆国』
『日系移民の歴史』
『阿修羅』
参考書籍
『アメリカ 1914-32』
『アメリカの二つの国民』
ニューディール政策では、富の再分配が行われたのですが、富裕階級が失った収入部分は、貧困階級ではなく、中産階級あるいは上層中産階級のポケットに入っただけでした。
また、女性や黒人は、様々な社会保障の適用範囲からは除外されていました。
例えば、南部の黒人農民は、ニューディールのひとつの柱である農業調整法(AAA)の圏外におかれていました。同様に、黒人労働者の大群は全国産業復興法(NIRA)にもとづく行政措置の圏外におかれました。また、社会保障法は農民と家事労働者を対象からはずすことによって、アフリカ系アメリカ人労働者の65%を排除しました。
白人優遇の社会保障制度
では需要の回復には繋がらず、失業率も、1937年には14.3%まで回復するものの、財政支出を削減した翌年再び19%に悪化。結局、失業率が1.2%まで下がるのは、アメリカが太平洋戦争に参戦
してからでした。※この頃から、黒人票の流れは歴史的な転機にさしかかります。
ニューディール政策でわずかな恩恵を受けた一部の黒人は、南北戦争後の再建期以来支持してきた共和党にかわって民主党に投じるようになりました。34年の中間選挙ではなんと、黒人票の大半がはじめて民主党候補を支持しました。
とはいっても、黒人の参政権は合衆国憲法で保証されているにもかかわらず、文盲テストでほとんどの黒人がはじかれ、実質的には黒人の中でも超エリートしか投票できない状態でした。1930年には、全黒人の4分の3は南部に住んでおり、彼らは投票を許されず陪審員にもなれませんでした。
アメリカ南部の半数以上の黒人が投票権を得たのは、1970年に文盲テストが廃止された翌年の1971年になってからのことです。
何でニューディール政策は上手くいかなかったの?アメリカって一体どんな国?
アメリカはもともと、移民の革命によって成立した国家。
(参照⇒『アメリカの共和党と民主党』1・・・アメリカ独立戦争が起きたのはなんで?)
ヨーロッパ特権の抑圧から逃避し、私権(地位や財etc)を求めて移住してきた彼らは、実は自らの私権に対する執着が異常に強いんです。
また、血縁や地縁などの共同体的基盤をもたない彼らは、相互に警戒心を強く働かせています。
このような『排他意識』が、今でもなお根強く残り続けるアメリカでの人種差別や階級差別を生み出しています。
恐慌期でさえ、有権者である白人と一部の黒人中産階級は、自分たち以外の人種や階級を救済する制度には批判的でした。恐慌当初はさすがにおとなしくしていましたが、少し落ち着くと、課税に対する批判、規制が多すぎることに対する批判、赤字支出に対する批判、全体主義への危惧など、ニューディール政策に対する圧力が高まって、結局、国家としての市場建て直しは実現できませんでした。
また、二度の大戦と、その間の黄金時代→大恐慌という目まぐるしい経済状況の中で、アメリカ産業の盛衰は、軍需と常に一体であることも明白となりました。
※皮肉なことに、黒人が白人社会から求められたのは、第二次世界大戦で兵士・労働力が足りなくなってからでした。民間労働力の不足から、それまで排除されてきた黒人が採用され、戦争末期には“白人と平等に”戦闘に参加する権利を獲得したそうです。(「死ぬなら平等」ってこと
)結局、略奪(戦争)を続けることでしか市場を維持・拡大できないアメリカは、この後、軍産複合
を主軸とした経済戦略を突き進んでゆきます。この辺り、次回の『アメリカの共和党と民主党6』で詳しくお伝えしていきますのでお楽しみに~
参考サイト
『永井俊哉ドットコム』
『恐慌から回復への政策』
『エンカルタ百科事典』
『世界大恐慌の原因』
『世界各地域史・戦後アメリカ合衆国』
『日系移民の歴史』
『阿修羅』
参考書籍
『アメリカ 1914-32』
『アメリカの二つの国民』
- by nisi at 23:00

コメント
よく調べて解りやすく纏め上げていますね。
私は、アメリカ史を見るうえで、
英仏の覇権戦争の副産物としてうまれた『独立戦争(→USAの成立)』、
州と連邦の力学対立を内在させた南部農業と北部工業の資本戦争である『南北戦争(→産業資本主義国家の成立)』、
そして市場大陸内での私権獲得機会の閉塞から発生した『ニューディール(→連邦権力の肥大)』、
の3つの時代は、アメリカ史の大きな転換点だと捉えています。
特に、ニューディールは海外への影響という意味で重要な転換点だと思います。
nisiさんが分析している通り、
見ず知らずの人同士という移民人種の集まりから生じる“排他意識”を深層に抱えたアメリカではニューディールは成功しない。
そのため、ニューディールにより州連合の色合いから連邦権力が肥大したのを背景に、国内の閉塞を打破するために「誰にも自由に私権を獲得する機会がある」というアメリカン・リベラルとデモクラシーというアメリカの価値観を他国に拡大して、私権を獲得しようとする帝国主義に突き進んでいく。
そして、その手段として海外への侵略戦争に暴走していくなかで軍産複合体が肥大していく。
nisiさんの記事を読んで、アメリカはニューディールを転換点に、国内の矛盾を海外に向ける膨張主義で狂っていきだしましたね。
うううーむ・・・。
アメリカが、「そーとーイケテナイ」自己中な国とは知っていましたが、その詳細を聞いた感じです。
最初は国の中で、排他を行い、それに限界(それとも、もっと甘い蜜??)を感じ、国外へとその魔の手を伸ばしている!!ってことなんですね~゛(`ヘ´#)
また、今度の記事を楽しみにしています☆
いつもすごいよく調べてるますね。
このシリーズの後には、是非イギリスの保守党と労働党とか、金貸しとケインズの関係とか・・・・・。
ヘンプヒルズさん コメントありがとうございます☆
アメリカの歴史や実態を知れば知るほど、色んな矛盾を抱えてて、それでも力ずくで市場を拡大することでかろうじてアメリカという国を維持しているんだなと思います。
今後も、単に勉強するだけでなく、なるべく「なんで?」を追求していきたいので、またよろしくお願いします!!
みわつんさん、読んでくれて&コメントありがとうございます♪
女の子からの反応、嬉しいです☆
そうなんです。。アメリカって、自国内でも略奪して、他国からも略奪してるんです(>_ でもこれってすごく脆いというか、歪というか、そんな危険性を孕んでいると思います。
だから異常なほど攻撃性が強いのかも?!
minamikazekozoさん、るいネットの投稿いつも読んでます!!コメントありがとうございます☆
このシリーズ、あと数回続きますが、是非またいろいろ教えて下さいッ♪
イギリス、やっぱりそこに行き着きますよね~。
これまでの中で、いくつか次のテーマも出てきていますが、イギリスも第一候補です。
期待してくれてありがとうございます(^▽^)