2007年09月16日
陰謀論と歴史構造論

9月7日の記事「マスコミは信頼も期待もされていない」に対して、次のようなコメントがありました。
陰謀説も、ほどほどに。。。当ブログの、欠点です。昨夜、テレビでも、任期中も、医者が駆けつけるところを、とられていました。ロックフェラーとか、ブッシュとか。。。まず、陰謀説どうのより、テレビで得られる、情報、私は、特に、人物の顔色や、動きを、見ています。ブッシュを見れば、スグ判ります。彼にとっても、晴天のヘキレキだったことが。。。
「陰謀論」とは、歴史上(現代も含む)の事件は特定の人物や集団の思惑・陰謀によって起こったものであり、その真相は学会やマスコミの定説や常識によって隠蔽されているとするものでしょう。
ロックフェラーやロスチャイルドを持ち出すと、「陰謀論」であると批判されることが多い。批判する論拠は「荒唐無稽」、つまり「常識ではない」という辺りが多いようです。では、「陰謀論」を批判する方々は新しい事実を発見し、「陰謀論」に代わる原因構造を提示できたのでしょうか?
無数の常識によって導かれてきた現代社会が全面的に行き詰まっている以上、その常識群の多くが間違っていると考えるしかありません。ところが、マスコミや学者の言う定説や常識に依拠し「陰謀論」と批判するだけでは、思考停止と言われても仕方がないでしょう。
一方で、「陰謀論」の限界もあります。
全てが特定の個人や集団の思惑に還元され、それだけが世界を動かしているかのような錯覚に陥る。そして、彼らを悪者視して批判して終いか、あるいはその力の巨大さに不可能視してしまうか、いずれかの危険性を孕んでいます。それでは、闇の支配勢力や金融資本の力を覆す可能性を見出すことはできません。そのために必要なのが歴史構造論です。
例えば、金融資本が国家や社会を支配できた力の基盤は、市場社会ではお金が絶対的な最高価値であり、万人がお金に収束していたことです。だからこそ、最大のお金の所有者=供給者である金融資本が支配者として君臨しえたのです。
ところが、'70年頃貧困が消滅した先進国では、お金は第一義的な価値ではなくなりました。人々のお金への収束力は低下する一方で、市場は縮小過程に入りました。これは、金融資本にとって支配の基盤が崩れたことを意味します。実際、彼らも市場縮小に対して有効な打つ手がありません(だからアメリカは侵略するのだ)。現代社会の行き詰まりとは同時に、闇の支配勢力≒金融資本の行き詰まりでもあるのです。
また、'05年の郵政選挙のように、金融資本がマスコミを使って世論を支配するのが常套手段になっています。お金だけでは支配できなくなり、世論形成しなければ金融支配も維持できないのです。今や勝敗を決するのは資本力(お金)ではなく世論の力=共認力であり、共認(世論)によって金融支配を覆す基盤が既に整っているということです。
私達が、このブログ「Trend Review」を運営しているのも、「何が事実なのか?」それに基づく共認を形成するためです。そのためには、御用マスコミや御用学者が決して明らかにすることのない歴史事実や現象事実を発掘し、それらを統合する歴史構造を提起する必要があります。「陰謀論」も歴史構造論があって初めて、実現可能性を導く論理へと昇華するのです。
冒頭に示したようなコメントが入るのは、歴史構造論の展開が不足していたことも一因ではないかと思います。みなさんも、その点を意識して投稿していただきたいと思います。
(本郷猛)
- by hongou at 10:56



コメント
いわゆる“陰謀論”には2つのタイプがあるようです。
①ひとつは、陰謀論とレッテルを貼ることで、自己正当化する思考停止タイプ。
②もう一つはテキトーな“陰謀論”をわざと供給する連中。特定の勢力をやり玉に挙げて、事実を見えなくしようとしているプロパガンダ。(exロスチャイルドを実態以上にふくらます連中。exジョンコールマン・大田龍。おそらくロックフェラーのプロパガンダ?)
宇宙人とか爬虫類人とかも登場してくる酷いのもある。
②のようなプロパガンダにだまされて、①を正当化するような関係になる。
どちらも、背後で操る連中には都合がいい。
なるほど。歴史構造論ですね。過去の事実経緯を論理整合させていく作業であるともいえますね。こうした作業の過程で、何が事実なのか、を見極めることが出来る。陰謀論と言われている書物の中にも歴史構造上、欠かせないトピックもあるでしょうから、事実を抽出し、論理整合していくことが今、なによりも重要なのでしょう。
陰謀論と歴史構造論の違い納得です。
陰謀論は陰謀であるが故に、確たる事実現象は少なく、仮説を組み入れないと論として成り立ち難い例が多いと思います。だから事実かもしれないし、胡散臭くも付き纏います。
そこに構造論を入れると、仮説であっても、普遍化するということなのですね。
>「陰謀論」を批判する方々
>は新しい事実を発見し、
>「陰謀論」に代わる原因構
>造を提示できたのでしょう
>か?
これは陰謀論類似の論理を提示する側の責に帰する問題です。
>歴史構造論の展開が不足し
>ていたことも一因ではない
>かと
この点はすごく重要だと思います。
>「陰謀論」を批判する方々
>は新しい事実を発見し、
>「陰謀論」に代わる原因構
>造を提示できたのでしょう
>か?
>これは陰謀論類似の論理を提示する側の責に帰する問題です。
コメントありがとうございます。お返事が遅くなりました。
ちょっと意味や意図がわからなかったので、この部分についてもう少しご説明いただければと思います。
>「陰謀論」を批判する方々は新しい事実を発見し、「陰謀論」に代わる原因構造を提示できたのでしょうか?
これは、陰謀論が事実であるか、少なくとも原因構造として多少は納得できるものになって初めて言えるものだと思います。
事実かどうか定かでないもの、すくなくとも仮説構造としてすら成立していないものを提示して、一方でそれの批判者にそれに替わるものの提示を求めるというのは誠実な態度とは言えません。
おっしゃることはわかりました。
仮説構造の構築・検証が不可欠なのはおっしゃる通りです。
ただ、「陰謀論」を批判するにしても根拠が必要だと思います。また「陰謀論」と呼ばれるものの中にも一面の事実があると思います。批判の根拠もないのに「陰謀論」とレッテルを貼ることで全否定して終いでは、事実を追求になりません。それが言いたかったことです。
なんであれ物事は360度の角度から検証する必要がありますから、むしろ、「陰謀論」を批判する根拠にどんなものがあるのか?(私の知る限りでは、レッテル貼りに近いものばかりなのですが)ご存知であれば教えていただければと思います。
論理は批判の対象となって検証され、それに耐えて事実でないものがふるい落とされて、より事実に近づいていくものです。
しかし、陰謀論は論理がなく、事実かどうか定かでない事象を撞着させたもので、注目されること、話題に上ること、あるいはひどいときには事実を隠すことを目的とするものが多い。
minamikazekozoさんが挙げられている②とその亜種がゾロゾロしている状態では、まず怪しげな理屈にはレッテル貼りをしてきっぱりと捨てることが大事だと思っています。
本当に事実を言い当てているならば、その論理をわめき散らしている当の本人ではない角度からも検証されることでしょう。
それから検証の対象にしても遅くはないと思います。一度捨てたって、後から拾い上げることもできるのですから。
「なんであれ物事は360度の角度から検証する必要がある」とは思いません。むしろ、それぞれの軽重の鼎が問われると思います。