2007年05月30日
批判しかできないマスメディアは、事態を悪化させ、秩序を破壊する

「報道の自由」を錦の御旗にしたマスコミの暴走は目に余る物があります。
2004年 鳥インフルエンザが発生した養鶏業者の会長夫婦が自殺
2006年 履修漏れが発覚した高校の校長が自殺
2006年 いじめ自殺報道による自殺の連鎖
2006年 いじめ自殺報道による校長の自殺
(当時の池田信夫blog いじめのニュースはもう沢山だ)
これらの報道は、養鶏業者や学校側の対応のずさんさを示す事にはなった。しかし、ニュース性があるからと言って、バッシングや批判しかしない報道は、問題解決の糸口が見えてこないどころか、事態をますます悪化させ、社会秩序を破壊してきた。
このようなマスコミの批判しかしない態度は、「社会人として」許されるのか?
「批判はするが、責任は取らない」というような事は、ある集団のメンバーが取る事のできない態度である。というのは、例えば社会を住みやすくするのは、最終的には、その社会が「住みにくい」と声を荒立てて批判する人間ではなく、その社会を「住みやすく」する人間だからだ。
もちろん、誰かが最初に批判を通して問題を提起する必要はある。
しかし、所属する集団や社会に対して、「批判的」な態度しかとらず、その集団や社会のもつ欠陥や不備について責任を感じないでいるということは、集団のメンバーには許されない。
そんな無垢で無責任でいられる社会的なポジションは、ありえない。ありえるとすれば、参政権を認められていない子どもだけである。
「批判するだけ」というのは、「社会人」としても許される態度ではない。
- by tnaito at 03:09



コメント
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技術に関する事件記事とは、現象事実とその経過を記載する欄と、それを総合的に見て構造化する欄の2つで編集されないと本当の事実(答え)は見えません。
しかしマスコミは何故かこれを同時に処理(発信)し、且つ世論が冷めたときには掲載は止め、1年後にその後を流して完全に消えて行く。
事故から1年が過ぎようとしているシンドラーエレベーターの高校生死亡事故もこれと同じ構造です。
事件当座は毎日報道。一周忌を前にして、管理会社に責任がありそうだと報道。しかし、住民説明会では、相変わらずシンドラーエレベーターは、事故を起したにも拘らずほっかむりを決めつけ、自分達に有利な条件を突きつけた上で弁護士間の協議を求めている事実があるようです。
マスコミはこの事実を掲載せず、管理会社に問題がある。とした記事だけを掲載している。
この結果は日を見るより明らかです。
当事者は、お亡くなりなった家族であり、シンドラーエレベーターを使って来た住人の人達です。
彼らが希求することは、原因の構造化とそれに関する「安全への答え」です。
なんでこんな単純なことが分からないか?不思議を通りこして憤りを感じるのは私だけでしょうか?
>原因の構造化とそれに関する「安全への答え」
エレベータみたいな機械では、たまに人が死ぬ。
これが答えです。安全カルトもいい加減にしてもらいたい。
日立EVがきましたね。
海外メーカーの問題から国内メーカーに飛び火したようです。東芝、MITSUBISHIは防ぎきれるか?
フジテックがキタ━━━━━(゚(゚∀(゚∀゚(☆∀