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2007年03月15日

気を遣う日本人、過剰適応が自己喪失を招く?

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 日本は最近また問題となっている「従軍慰安婦問題」にしても「拉致問題」「領土問題」などの外交場面に於いて、煮え切らない態度を取ることが多い。 
 
 その原因は、アメリカの傘下で守られている戦後の国際的立場によるものなのか、それとも日本人特有の性質によるものなのか。 
 

 『右余極説』というブログに以下のような記事がある。 




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気を遣う日本人、過剰適応が自己喪失を招く     
   あるテレビ番組で、来日している外国人に「日本人のここがおかしい」というところをインタビューしていたのを見たことがありますが、たしか上位に来た回答に「周りの人に気を遣いすぎる」というものがありました。

自分勝手に生きている外国流の個人主義がすぐれているとは思いませんが、たしかに日本人は周囲がどう思われているのかを、他の国の人間よりは気にするのに違いないと思います。

そもそも外国人をみつけると、ほぼかならず「日本はどうですか?」「日本人はどうですか?」「日本のどこがおかしいですか」と問うこと自体が半分は病気みたいものではないかと思います。

しかし考えてみれば、多くの日本人のメンタリティーというか常識は、周囲に適応することによって身に付けられる、そうやって価値観を形成してゆくところが強いのだろうと思います。

この習性は、所属する共同体や社会に健全な常識や道徳が保たれている場合はとてもうまく機能するでしょうし、その共同体の中に所属し続ける限り、共同体にとっても、個人にとっても安定的に作用するだろうと思います。

ところが、そうしう姿勢でひとたび外を見回すとどうなるか?ひたすら周囲の空気をうかがいながら、周囲に適応しながら自己を形成してきた日本人が、今度は外に目を向ける段階になると、これまでの自分たちとはまっく別の常識や道徳観があることを知り、ひたすらそれに適応しようとするのではないでしょうか?

六カ国協議で何か日本が少しでも強く立場を主張しようとすると、「国際社会から孤立する」といって、国際社会の多数(それは強国の力を背景とした見せかけの多数にすぎない)になびいてしまい、同朋を見殺しにしたり、核の脅威を見過ごしにしたりということになってしまうのだろうと思います。

~中略~

日本人の周囲への適応力にはものすごいものがあり、だからこそ明治維新を成功させて短期間のうちに国際社会で先進国の地位にまでのぼりつめることができたのかもしれませんが、ひたすらどこまでも周囲への適応ばかりに熱心では、自分が何物であるか、どこへむかうのがかわからなくなってしまいます。

~中略~

いずれにしろ、今や、周囲に気を遣う日本人の習性が、周囲への過剰適応の次元へと達して自己崩壊を招いているのではないかと思います。

日本人が自分を見失わず、かつ国際人としても活躍するためには、まず領土のみならず文化や精神にける国境の存在を強く意識して、日本人としての自己を再確認することからはじめなければならないと思います。


 

危惧されるのは、外国の良い所と勘違いされている「自己主張」や「完全なる個人の確立」への過剰適応ではないでしょうか。

それを避けるためには、引用記事にもあるように健全なる共同体の再生が必要だと思いますが、さらに、日本人が外部交渉する場面に於いて取るべき姿勢は、自分・自集団、ましてや自国のためでもなく、みんなの期待に応えて純粋に『実現』に収斂していく次のような姿ではないでしょうか。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」~画像処理技術に革命もたらした東大安田浩教授の最終講義~より   

「日本は降りる。だからアメリカも降りないか。フランス案で行こう」

日本の案のほうがデータ的にはハッキリアメリカ案の上を行くという結果が出ていた。その日本が率先して降りるといえば、アメリカはそれでもがんばるとはいわないだろうと踏んだのだ。そして、アメリカの面子も立てるためにこういった。「アメリカ案にも、日本案にもいいところがあるから、フランス案をベースにして、それにアメリカ案のいいところと、日本案のいいところをプラスするということでどうだ」

アメリカ代表はしばらく不満そうに何かまくしたてたが、数分後には、「それでいこう」とOKした。

これが、延々失敗しつづけた画像の世界の国際技術標準が確立した瞬間だった。

JPEGの成功につづいて、MPEGも安田氏が中心になってまとめあげた。

JPEG、MPEG1、2によって、コンピュータ画像・デジタルTV画像の世界標準を確立した功績は国際的にも高く評価された。この功によって、安田氏は、1996年に米国テレビジョンアカデミーから、テレビ界のアカデミー賞といわれる「エミー賞」の技術開発部門賞を受けている。

標準化技術にこの賞が与えられたのは、はじめてのことだった。

コメント

日本の外交は決定力に欠けるというのはしばしば耳にしますね。
しかし、他国に負けじと自国の主張をゴリ押しする強さを備えればいいかというと違う気がします。(その土俵に乗っても平行線を辿るだけ)

全体がどうすればうまくまとまるかという視点、みんなが納得できる評価軸を提示することが、求められている決定力だと思います。

そして、“日本人の周囲への適応力(≒外圧把握能力・同化能力)”こそが、その実現基盤になるのではないでしょうか。

  • G線上のアリア 2007年03月22日 15:36

河野談話で一番の問題は、事実でないことを認めてしまったことよりも、その裏に密約があったことだと思う。

外交ではしばしば密約が交わされるが、ろくなことにならない。特に韓国のような易姓革命の国では、統治の連続性が無く、前任者の約束は簡単に保護にされる。

つい最近も、竹島問題での日韓基本条約における密約が暴露されたが、この密約は全て韓国側によって破られている。

安全保障に係わるので簡単なことではないが、外交交渉も今後は可能な限りオープンにしていくべきだと思う。

  • たく 2007年03月24日 12:52

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