2007年01月18日
選挙制度における被選挙権

安倍内閣が発足して初の国政選挙となるこの夏の参議院選挙に、自民党は高校サッカーの名門校、国見高校で監督を務めていた小嶺氏に公認での出馬を要請し、同氏はそれを受けて出馬表明をしたようだ。
タレント候補者の流れのひとつではあるが、少し考えさせられることがありました。
続きの前にぽちっとよろしく☆
97歳母が後押し!小嶺忠敏氏が参院選出馬表明 高校サッカー界の名門、長崎県立国見高サッカー部前総監督の小嶺忠敏氏(61)が10日、長崎市内で記者会見し、今年7月の参院選長崎選挙区の自民党公認候補での出馬を表明した。会見中長崎選挙区 自民公認に涙ぐむ姿も見せた名将は「教育現場の姿を中央に伝えたい」と同校を全国選手権で6回の日本一に導いた指導力を政界で生かす。9日付で同校の総監督、県教委参与の役職を辞任し、背水の陣で選挙戦に臨む。 (2007年1月11日06時05分 スポーツ報知)テレビタレントやスポーツ選手等、中身はともかく知名度の高い人を候補として担ぎ出す行為は常態化している。
その度、せっかく国政に参加する重要な機会なのだから、国民として適正な候補者を見極めて、選挙権を有効に行使しようと言われたりする。
もっともなのだが、現実には個人で候補者のことを調べる時間はなかなか取れず限界がある。
ところで、少し気になることがある。
それは、選挙権についてはうるさく言われることが多いが、被選挙権については選挙権ほど取り上げられることが少ないことだ。
年齢の規定(ex.衆議院:満25歳以上、参議院:満30歳以上)を教科書で習うくらいで、被選挙権について考える人は少ないのではないだろうか。
また、売名行為や遊び半分での立候補を抑止するために供託金制度もあるが、供託金を拠出しているからといって、良質な候補者であるわけではない。
【参考:ウィキペディア-「供託金」】
国民は立候補者の中から選ぶわけだから、どんな立候補者がいるのかは、かなり重要な要素になる。
しかし、現在の立候補者達は、“自分の意志”で政治家になりたいと思う人や、今回取り上げた例のように“既存政治団体の都合”で担ぎ上げられる人がほとんどで、一般の人々の声を受けて立候補するケースは極めて少ないように思う。(担ぎ出された後で、盛り上げ工作が行われることはしばしばだが。)
投票(選挙権)に対する意識を高めることも大事だが、立候補者(被選挙権)に関しても、どこかの誰かが準備するのを待つのではなく、どのような人に立ってもらいたいかを意識することが重要だと思う。
また、システムにおいても、人々の日常的な評価の積み重ねによって被選挙権を得られるような仕組みに変えていく必要があるのではないだろうか。
- by lived104 at 21:50


コメント
>個人では候補者のことを調べ上げる時間はなかなか取れないのだ。
確かにそう。
よっぽど注目されている候補意外は、わざわざ調べたりすることはありません。
>日常的な人々の評価の積み重ねによって被選挙権を得られるような仕組みが必要なのではないだろうか。
確かに確かに。
そういう評価が伴わないからでしょうか、選挙ポスターを見ても
「いまいち信用できなさそうだなこの人は。」
とつい思ってしまいます。
タレント議員も、名前を連呼し土下座して選ばれることになる政党所属の候補も、親の地盤を引き継ぐ2世議員も同じだが、結局は普通の人ではない。単なる落ち目タレントの就職先か、利権亡者かの違いであって、まともに国のことを考えているとは到底思えないし、選挙カーで走り回って絶叫してまで議員になろうとするその浅ましい態度は、何のうまい話の目的か、と訝しく思う。
結局は、彼らの活動を正当に評価する場がないということだろう。その点では、”日常的な評価の場”というのが不可欠だと思う。
僕らは、誰かを評価するときに、あったことも話したこともない人のことはよくわからない。一方、信頼に足る人の評価は大事にするし、直接期待をかけた人が真摯に応えてくれたら、思いっきり評価してしまう。
しかも、それは日常からの積み重ねだから、一朝一夕にできあがるものではない。だから信頼されるには時間がかかるし、逆に評価があれば、失敗したからと言ってすぐに見限ったりなどしない。
それに比べれば、政策すら語らず、名前を連呼するだけ、あるいは政治とは何の関係もないタレント活動で得た知名度だけで票を得ることができる選挙制度は、一体何を評価しているのだろうか。
評価という、日常誰もが行っている人間の基本的な行動と全くかけ離れ、また、誰もが自分たちの国のことを自分で考えず、徹底的に傍観者として脇に追いやられることを容認する制度、それが議会制民主主義とそれを補完する選挙制度なのかも知れない。
タレントや著名人が国政選挙の候補者に名を連ねることが珍しくなくなっている現在、特に驚くべきことではないと思うが、昔に比べ、「あからさまに票だけほしいです」というような人選が散見される。それらの候補者は、基本的に各政党から出馬要請の打診があり、少なからずとも「日本のため」「今まで皆に受けた恩を返したい」等の意気込みを持って、打診を受け入れるのであろうが、その候補者達に社会を統べるための能力があるかどうかは、フタをあけてみなければわからない。
すべての候補者がこれに当てはなるとはいわないが、選挙による民主政治の可否を除いて考えると、少なからずとも現在の選挙に関する不具合が3つあると思う。
①候補者の選出は、国民ではなく、各政党の執行部が政党のために選出(すなわち票が取れる人を選出)している。
②社会を引っ張っていくことが出来るという能力・認識の評価で当落がきまるのではなく、人気で決まる場合がある(よくわからないのに人気を理由に投票する有権者の問題)。
③能力・認識の高い人を候補者として選定するシステムが存在しない。
上記のような、問題をはらみつつ選挙が行われているのは、この混迷する社会をリードする答えを政治家・政党が持っていない上に、選挙で勝ちを求められるため、目先の人気(票確保)に飛びついているだと思う。各政党の要人は当選させ、タレント候補者によって全体票の底上げ。選挙が日本の政治のためではなく、政党の縄張り争いにしかなっていないような気がします。