2006年12月16日
権力争い ~淀屋vs徳川家~
突然ですが、淀屋という豪商を皆さんご存知ですか
元々は、治水土木や材木業を生業にしていた淀屋は、秀吉時代に伏見桃山城の造営工事の建造資材運搬総取締等で、手腕を発揮し、秀吉に認められ、町方支配役の元締衆として市政に携わった。
その後、徳川家康の大阪の陣での仮城の建築の功績により、身代の元となる米商いの元締めとなることを認められました。
幕府のお墨付きをもらった淀屋は、その後約100年(5代)に渡り、各藩の蔵米の総元締めとなり、米の価格を決めたり、なんと先物取引等によって、豪商への道を歩んでいきます。 つづく!!
(現在の淀屋橋も淀屋さんがかけた橋という事で、呼称されているそうです
)
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その生業で蓄えたお金で、淀屋4代目以降、上方以西の各藩への貸付を盛んに行い、なんとその額現在の金額で、120兆円にまで上ると言われています
なっ、なんと現在の国家予算を超えているよ~~
そして、その債権によって、各藩が窮地に追い込まれるようになると
、淀屋5代目辰五郎の時代に辰五郎が、1年半もの間に100億円近くを豪遊費として使用していた事が、時の将軍綱吉の怒りに触れ、「倹約令違反」にあたるとして、闕所(けっしょ)=財産等全てを没収という罰を受け、淀屋の社会的地位を剥奪という出来事を起しました。
(でも、実際綱吉も寺社建設等で浪費癖は同じくあったようです)
権力を脅かすまで力を付けていた淀屋に対し、幕府は辰五郎の豪遊を淀屋討伐の正にうってつけの事象として“力
”誇示の為行ったのだと思います。
権力者に取っては、相手がうまみのある時には、とことんうまみを搾り取り、自分の地位を脅かす存在となった時には、権力によって相手の社会的地位を奪い去る。何時の時代も一緒だな~と思う
『国民全員が政治に参加出来るシステム構築が必要
』(むはひふさん)
http://www.trend-review.net/blog/2006/12/post_86.html#more
で取り上げられている選挙権の話は、現状の権力体構造を解体しない限り、道(可能性)が見えてこないと思う今日この頃・・・
シオンでした。
- by member at 22:11



コメント
取引のうまみによる商人の台頭を、当時の支配階級が力で潰した事例ですね。
江戸時代には、社会の制覇力が武力→財力へと移行する兆しが出ていたのですね。
ただ、着目したいのは、幕府が力によって、財産没収出来る点ですね。
今でこそ、所有権は最も根幹の権利ですが、当時は幕府が認めてくれないと、所有できないということだったのでしょう。私権社会の支配構造は、所有権の保証を誰がするのか?にあったのではないでしょうか?
現在は、所有権を保証してくれているのは国家ということでしょうか?
民主主義だろうと、社会主義だろうと、この所有権の保証する力を握ることが、支配構造となる。
物的価値に収束していた、私権時代は、ここを握れば、楽々支配というある意味単純構造だったのですね。
しかし、現在は「物より心」の時代。
心=共認を支配するのは不可能。
そんな時代である以上、国家の統合者=政治家を選ぶだけの選挙は、支配者の選定ということで、全く意味がないと思います。(もう、共認形成を握っているマスコミとその背後のアメリカに牛耳られていますが)